あらう。
 私も、『シラノ』の舞台はパリで再三見たが、コクランは残念ながらもうこの世にゐず、例の映画で日本にもお馴染のピエエル・マニエが主人公をやつてゐた。このマニエは顔はちよつと左団次に似てゐるが、芸はそれほどでなく、甘い通俗劇で『老けた色男』をやるのが身上である。
 それにしても、舞台はなか/\面白かつた。第一幕の『詩的決闘』の場はあつけなく済むが、第二幕目の『鼻づくしの半畳』は無性に痛快であり、第三幕目の『露台の接吻』は『不滅のシイン』と定評があるだけ作劇上の一大創造であると感じた。第四幕から第五幕目にはいると、これは、日本人に最も受けさうな――フランスでも見物のすゝり泣きが聞えるところだが――修道院における『シラノ』臨終の場である。左団次の演技も、恐らく、この場において最もその真髄を発揮するだらうと思はれる。沈痛な『高島屋の声色』は、秋の夕日を浴びて木の葉の如く散つて行く『シラノ・ド・ベルジユラツク』の『桂の冠も薔薇の花も!』といふ名せりふにぴつたりはまつてゐるのではあるまいか。
 ついでにいひたいことは、この種の翻訳戯曲が、今日の商業劇場で上演されることによつて、なにか日本の
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