劇作家が損害をかうむるやうに考へてゐる人がゐるとすれば、それは大きな間違ひだと私は思ふ。勿論、この傾向が永久に続くことは考へものだが、こんなことはありつこないのである、第一、種も尽きやうし、俳優も見物もあきて来るにきまつてゐる。小説や映画の舞台化こそ、劇道擁護のために反対すべきであつて、たとひ外国のものであれ、よい戯曲の上演は、俳優の修業になり、見物の訓練になり、作家の刺戟になり、興行者の瀬踏みにもなり、目下の情勢からいつて、むしろ歓迎すべきことであると、私は信じてゐる。
たゞ希望するところは、徒らに大衆化に名を藉りて、原作を乱暴に変形し、その芸術的特色を誤り伝へるのみならず、結局本来の劇的価値を無視することがないやうに、当事者において充分、良心的な仕事をされたいといふ一事である。
その意味において、今度の『シラノ』に、どの程度の用意が払はれてゐるか、これは厳密な批評が下さるべきであらう。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「報知新聞」
1931(昭和6)年1月30、31日
初出:「報知新聞」
1931(昭和6
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