はれるのかといふ根本の問題を考へ、それを徹底させてゐるところがわりにないからである。
そこへ行くと、青少年、殊に学生生徒の近頃の変り方は相当に眼に立つて来た。時に中等学校の生徒は、例外もあるが、なかなか、しつかりして来たやうである。しかも、形の上のことだけれども、なにか彼等のうちに新しい光明が湧いて来たのではないかと思はせるやうな風貌に、ちよいちよい街で出会ふ。頼もしい限りである。
ところで、私は「日本人の錬成」といふことについて、国民一般が、たゞ単に時局の要請に応へて、といふやうな、必ずしも受動的とはいへまいが、多少歯を食ひしばるやうな「自分の鍛へ方」に満足せず、やはり、指導者たちもその気になつて、第一に、日本人たるの「矜り」をいよいよ高くもち、それにふさはしい「嗜み」を深く身につけ、日本人相互の間に親和と尊信の念を起させると同時に、それぞれの立場において、決して「不覚」をとらない、品位ある国民の一員となること、今や「錬成」の第一義として掲げなければならない時期だと思ふ。
これが国民一般の間によく理解され、十分の共鳴を呼び得たならば、家庭生活においても、また社会生活においても、
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