じてゐる。ある人間は、この現実さへも、信じられずにゐる。眼に映じ、耳に響き、肌に触れ、心に感ずる様々な事物が、かく映じ、かく響き、かく触れ、かく感ずることを既に疑つてゐる人間があるかも知れない。わからないか。君は或る「苦しみ」を「苦しみ」として享《う》け容《い》れてゐるね。一部の人間は、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れることが正しいかどうかを疑つてゐるんだ。君達が「楽しい」と云つてゐることを「楽しい」と云はなければならない理屈はないと思つてゐるのだ。自分が「苦しい」と思ふとき、「楽しい」と思ふ時、「おやおや、おれはほんとに苦しんでゐるのか知ら、ほんとうに楽しんでゐるのか知ら」さう自分自身に訊ねて見る人間がないとも限らないではないか。
乙――さういふ人間は病人だ。
甲――さういふ人間から見れば、君達が病人だと云ふかも知れない。
乙――よし、それなら、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れないなら、一体、そいつらはどうするんだ。誤魔化すんだらう。
甲――よし、それなら、君達は、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れ、その「苦しみ」を「苦しむ」ことによつて、どんな「歓《よろこ》び
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