のである。なぜなら、ほんたうの伝統といふものは恒に年老いないものと信じるからである。
「根こぎにされた」文学の表情が、これらの作品のあるものゝうちに全然ないとは言へまい。しかしながら、将来は、個人的にみても、また満洲それ自体としてみても、かくの如き表情は一日も早く払拭せらるべきであり、作家も亦おそらくその業蹟を通じて、諸民族の協力による国土の発展に寄与することを念願とするに至るであらう。さうなつてこそ、満洲の文学史は、はじめて独自の頁を占めることになり、個々の作品は、文字通り古典的価値をもち得るのである。
問題はたゞ、観念の操作によつて、かゝる姿勢をことさら作品にとらしめることではない。現実の複雑な相貌を直視して、真に世紀の胎動とも称すべきものを感得しなければならぬ。懐疑と希望とを分つ一線がそこにある。今や、如何なる作家も正にその一線の上に立つて己れの愛するものゝために道を指し示す役割を負うてゐるのである。
それはさうと、私は、この集に収められた作品のすべてを読む暇がなく、選はおほかた川端、島木両氏にお委せしたのであるが、その結果については、両氏を信頼する私としてもちろん共同の責任
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