心を呼び起す。役者が下手でもその熱心さに打たれ、装置が貧弱でも、百方工夫の跡が見えればよい。芸術は生命の具象である。人間が一生懸命になつてゐるところ、そこには技巧を超越した美の世界がある。
 現在までの新劇運動は、恐らくかういふ観客によつて支持され、育てられ、そして、悲しい哉、いくぶん不具にされて来たのである。
 今日のいはゆる「新劇フアン」なるものに対して、私は毛頭軽侮の情をもつものではないが、たゞわれ/\の「悲劇喜劇」は、その「寛大さ」よりもむしろその「気むづかしさ」に呼びかける甚だ危険な傾向を選んだつもりである。それ以外に、日本の新劇を健全に導く方法はないと信じるからである。

「悲劇喜劇」は純然たる「演劇専門雑誌」にはしないつもりである。演劇を演劇の檻の中に閉じ込めて、豊かな外光に触れさせないことは愚の極みである。演劇は必ずしも綜合芸術ではない。しかし、演劇はあらゆる芸術への出口をもつ一種不可思議な迷宮である。「悲劇喜劇」は、この迷宮を訪ふものの案内書であり、探検用の新版地図である。時には小説が掲載されるであらう。時にはまた詩論が、またある時は紀行や日記が、そして、稀には美術評
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