、遂に劇場に足を向けることを断念してゐる。
かれ等はしかも活動写真だけ観る連中である。音楽会へなら行く連中である。勿論普通以上の読書家である。殊に戯曲全集は幾通りも取つてゐる連中である。
なぜ芝居を観に行かないか。答へは同じである。曰く「退屈だ」。曰く「観てゐて気の毒になる」。曰く「おれに演らせればもつとうまくやる」。
なるほど、さうかも知れない。私は、かれ等が呑気さうにわれ/\の仕事をこき卸すのを見て、少しは腹を立てるかといふと、決してさうではなく、却つてうれしくなるのである。なぜなら、かういふ人々こそ、頼母しいわれ/\の味方であるから。
私は先づ「悲劇喜劇」をかういふ人々に贈らうと思ふ。
× × ×
一方かういふ人達がゐる。芝居でさへあれば、なんでもかまはない。それや、感心したり感心しなかつたりするにはするが、兎に角、芝居を観ないと淋しい。取りわけ新劇の舞台は、多少不満はあつても、常に何か知ら生き生きした興味を与へてくれる。ことに脚本を読んだだけでは味はへない魅力が、思ひがけない興奮となつてわれもまた何事かをなさゞるべからずといふ決
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