るのはどうしたものか。
旅行
小学校にはひる前、旅行をしたのは、熱海へ行つた時だけである。おやぢが、馬で怪我をした、予後の保養かたがた、温泉を選んだものと思はれる。
熱海といつても、温泉が時間をきめて噴き出すことと、顔ぢう火傷のあとのある宿の女中のことと、海へキシヤゴを取りに行つたことと、「渡るに安き安城の……」といふ歌を唱ひながら、おやぢと一緒に山道を歩いたことと、ただそれだけが想ひ出の全部である。
おやぢ
おやぢは僕を兵隊にしようと、その頃から思つてゐたらしい。そして、僕が、後年、文学をやり出したのを見て、心甚だ平かでなかつたのは確かである。
然るにおやぢが、嘗て、一篇の新体詩をものしたことのある事実を、最近に至つて発見したのである。
それは、日清戦争が始まつて、将に戦地に向はうとする時、宇品から、母に送つたものである。勇壮な歌調、しかもおのづから纏綿たる情緒を漂はせたものであることはいふまでもない。一介の武弁、あれでも三十にして多感の詩人であつたかと思ふと、僕の幼時は、案外文学的に恵まれてゐたかもしれぬ。
お伽噺
少年世界は、
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング