毎月取つてゐた。もちろん、小波の愛読者である。なかでも、太郎露と次郎露の話ほど、僕の夢をベルセした話はない。
 僕は今でも、あの蟷螂が、意地の悪い爺に見えてしかたがない。
 それから、はつきり眼に浮ぶ挿画は、地獄へ墜ちた小波が、閻魔の舌を抜いてゐる絵である。
 昔噺では、「大江山」が好きだつた。
 老婆といふものが、不気味なものと思ひ出したのは、「安達ヶ原」を読んでからである。

     活動写真

 神田の錦輝館へ初めて活動写真を見に行つたのは、幾つの年だつたか、なんでも戦争の写真である。亜米利加の星条旗が風に翻り、軍艦が波を蹴立て、鉄砲の銃先から、パツパツと白い煙が出るのを、不思議な感動をもつて見つづけた。
 今でも、活動写真に対する僕の興味は、さういふ「原始的」な部分に集注されてゐる感がある。汽車が音を立てずに走り、人が声を出さずにものを言ふ、その奇妙な現象は、確かに一種の恐ろしい魅力である。(一九二六、九)



底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日発行
初出:
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