をしかめてゐる僕に「柚の皮、柚の皮」と云つてお尻を叩けと教へた。小さな陸軍中尉は「柚の皮」を連呼しつつ、津の守坂を下つた。

     ブランコ

 その頃、僕の家は、塩町にあつた。だから、遊びに行くといへば、青山の原か、乳屋の原である。乳屋の原とは、今の荒木町一帯を指すらしく、その頃は不見転芸者などゐたかどうか、兎に角、牛がモーモー鳴いてゐたのである。その原にブランコがあつた。
 そのブランコから落ちて、怪我をした時のことである。傍らで風船をついてゐた少女が、その風船を僕の額の傷口に押しあてて、なんとか優しいことを云つてくれたのを覚えてゐる。その少女は、たしか、染物屋の娘である。今はさぞいいお神さんになつてゐるだらう。

     相撲

 僕もよく相撲を見た。しかし、両国まで出かけて行つたことはめつたにないらしい。大方は招魂祭の余興相撲であつたらう。見物は軍人とその家族が、大部分であつたやうに覚えてゐる。梅ヶ谷が常陸山に負けて、べそをかいてゐた――と、僕はその時信じてゐた。負けても土俵の上に頑張つてゐて動かない、小緑といふヘンな男がゐた。

     画家

 小学校に通ひ出して、
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