私はこれらの民族的詩歌が一層広く民衆の間に伝はり、勤労の余暇に、集会の場に、或は独居のつれづれに口吟まれるといふ風になれば、詩歌の精神はおのづから生活のすみずみに流れて、国民のひとりひとりが、みづからのおほらかな詩を、歌を、生むに至るであらうと思ふ。さうなつてこそ、われわれの祖先が嘗てさうであつた如く、事、公なると私なるとを問はず、われわれも亦純愛と献身によつて一切の行動を律するやうになるのだと、私は信じたい。
 国民士気の昂揚は今や、政治的にも喫緊事とされてゐるが、百千の名士の愛国的訓話は、一回の「地理の書」の朗読に如かぬことは云ふまでもなく、靖国の英霊を迎ふるわれら国民の至情に対し、如何なる高官の弔辞も、数行の「おんたまを故山に迎ふ」る詩片より荘厳にして感動的な印象を与へ得ないのである。
 これまで詩歌に親しむことの薄かつた人々のために、先づ私たちは、詩歌を親しみ易いものにしたいと思ふ。朗読法の研究とその効果的な公表を「詩歌の午後」といふ題目の下に企てた理由はそこにある。
 詩を詩として味ふために、他の芸術の助けをかりるといふことは、今や許されていゝことである。他の芸術も亦、詩の精
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