神のなかに、ひとつの発展を見出すことが、時代の飛躍と共に考へられることである。こゝには、新しい協力の姿があり、帰一の道がある。偉大なる芸術はすべての感覚に支へられ、すべての実体を包括する。詩歌の朗読は、今日までの研究ではまだ不十分である。詩は読むために書かれず、歌は如何なる歌も、ほゞ同じ調子で朗詠される。朗読のための詩は書かれてもそれは例外であらう。しかし、よい詩は朗読に堪へなければならぬといふのが、正しい説のやうである。言ひ換へれば、耳で聞いてわかる詩、言葉のひとつひとつの意味はすぐに通じなくても、詩人の伝へようとするものが、刻々聴者に感じ取れる詩でなければ、よい詩とは言へないといふのである。さもあらうと思ふ。しかし、詩の言葉そのものには、詩としての約束があり、特別な秘密がある。それを会得するまでには少しの暇と努力がいる。私たち、その暇と努力を惜まない人々に、できるだけのお手伝ひをして、知らず識らず、詩の世界に引入れてみせようといふのである。
「詩歌の午後」は、かくして、詩歌を広める運動であると同時に、よい詩歌を生み出す運動でもある。そして、更に、詩歌の正しい肉声化を通じて、日本語を
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