が、将来のラヂオ・ドラマを決定するのだと思つてゐる。
 この種の想像力は、ある程度まで舞台演劇の鑑賞にも必要であつて、能や歌舞伎劇の多くは、就中、その著しい例であるが、ラヂオ・ドラマは、特に、この想像力を極度に利用すべき表現形式を取らねばならぬ。
 雨が降つてゐる。――舞台でなら、本雨を降らすこともできるし、雨の音と、人物の動作や表情で、直接、これを見物に伝へることができるのであるが、ラヂオでは、やはり、人物をして、雨が降つてゐることを「語らせ」なければならぬ。さうすれば、雨の音は第二である。その語らせ方が、第一に問題になる。
 雨が降つてゐる。――雨脚が光る。庇にあたる雨の音。人が空を見上げる。硝子戸をしめる。外から帰つて来たものが、傘の水をふり払ふ。かういふ情景や、動作は、なるほど演劇の重要な一要素ではあるが、ラヂオでは全く効果がないか、或は甚だしく稀薄である。
 雨が降つてゐる。――「雨が降つてる」と「語らせる」のも一法であらうが、これでは、聴取者の想像力を奪ふことになつて面白くない。「どうしたといふんだらう、この天気は……」とでも「語らせ」れば、まだ幾分想像力を満足させることに
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