「ゼンマイの戯れ」に就いて
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)筋《ストオリイ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)田にのみ[#「にのみ」に傍点]
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 僕は元来活動写真といふものを、それほど研究的に観てはゐなかつた。巴里にゐる間近所に常設館があつたので、チヤツプリンの喜劇がかゝると観に行つたぐらゐのものである。たまたま、アントワアヌが新聞の「演劇時評」中で、アベル・ガンスの「車輪」を激賞してゐるのを読んで急にそれを観に行く気になつた。行つて見て、いゝことをした。いろいろのことを教へられた。活動写真の芸術的生命に可なり大きな期待をもつやうになつた。それから、「巴里の女」を観た。「ステラ・ダラス」を観た。「殴られるあいつ」を観た。そして考へた。将来は兎に角、今のうちなら、われわれ文学者が活動写真といふ仕事に参与し得る余地があると考へた。
 なるほど、映画脚本なるものに、いろいろの様式、いろいろの段階があることは想像し得られる。しかし、演劇に於ける戯曲の地位は得られなくとも、謂ふ処の「文学的要素」が、もう少し自由に、豊富
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