「せりふ」としての方言
岸田國士

 私は新年号の中央公論に、「牛山ホテル」と題する戯曲を発表した。
 仏領印度支那を舞台にとり、所謂海外出稼の天草女を主要人物として、その生活を描いてみた。
 私は、勿論、それらの女たちに天草弁を使はせねばならぬと思つたが、うろ覚えの怪しい言葉では困るし、読者も可なり読みづらいだらうと思つたので、最初は、普通の言葉で書いてみた。ところが、まるで感じが出ない。この作品を書くことが全く無意味だと思ふほど感じが出ない。それで、友人のH君が天草出身なのを幸ひ、わざわざ三晩も通つてもらつてやうやく、あれだけのものに仕上げたのである。
 ところが、あつちこつちから、大分苦情が出た。あんな言葉で書かれては読むのに骨が折れる。てんでわからない。甚だ迷惑だ。いや大いに不都合だ、といふやうな始末である。
 しかし、なかには、あの言葉が作品の効果を助けてゐる。却つて面白いといふ理解のある批評もだんだんあるらしいので、ひと先づ安心はしてゐるが、私は、かねがね、脚本は読み易いやうに書くものだとは信じてゐないから、ここで、一言、云はして貰ひたい。
 一体、戯曲の言葉といふものは、
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