小説や随筆のそれとは違ひ、そんなに、すらすら読んでは、舞台上の効果などわかる筈はないのである。舞台上の効果がわからなければ、戯曲の面白味がわかる気遣ひはなく、さういふ読み方なら、読まない方がましである。
 自分の作品についてかれこれ云ふのではないが、方言を使つたから読みづらいといふ苦情は、一応承知できるが、その読みづらい方言をわざわざ使つた作者の意図も考へて欲しいと云ひたいのである。
「早くしないと、遅れるよ」では決して、「早うせんぎりや、遅るツぞ」の効果は求められない。前者は、われわれにとつて、殆ど常に意味を伝へる言葉にすぎない。それが、後者になると、それだけの言葉の蔭に、人物の生活が、気性が、趣味が、習慣が、特殊なニュアンスとなつて潜んでゐるのである。ただそれだけではない。声の調子、表情、姿態までが浮び出てゐるのである。
 少し極端な言ひ方をすれば、方言そのものに興味のもてないやうな人は、戯曲を読む資格がないのではあるまいか。
 方言を用ひるといふことは、なるほど、屡々繰り返さるべきことではない。私にしても、恐らく、この試みは最初にして最後のものであらうが、少くとも、今日、戯曲を専
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング