に残された「理想」は、必ずしも装飾としてではなく、精神的欲求としての「生活の快適さ」であらう。
かういふことを云ふと、すぐに現代は享楽の目的物に事を欠かぬではないかと反駁して来るものがあるには違ひない。そこで僕はその享楽の目的物なるものについて若干検討を加へる必要を感じるのである。
全くその通りである。現代の日本は、民衆が、最も「生活そのもの」を楽しんでゐない時代、従つて、享楽を「生活以外」に求めてゐる時代なのである。
なぜかと云へば風俗の混乱が趣味の対立、教養の疎隔、言語の不通をまでもち来した結果、親子同胞隣人の間に同一物に対する共通の価値判断が行はれず、従つて、人間相互の感情に相通ずるものが少くなり、反感と軽蔑と無関心が日常の生活雰囲気を支配してゐるからである。
極端な例をあげると、総理大臣の施政方針が発表される。これに興味をもつほどのものが、先づ第一に感じることは、それに盛られた政策の内容が何よりも、その文体の、凡そ珍妙無類なことである。ところが、これを佳しとするものがまつたくゐないわけではない。いや寧ろ、官吏や政治家のうちには、相当に膝を打つて感心したものもゐるのであら
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング