何れも「文化」に対する一面的な観察を土台とするからで、現代日本の姿といふものを、風俗的に観察すれば、悲観も楽観もしてゐられないのである。
行くところへ行くといふ自然法的な解決も考へられないことはない。混乱は統一への段階であると云へば云へるのであるが、それには、何処かに指導的な力が働かなければならぬ筈である。見渡すところ、そんなものは何処にもない。
少くとも、民衆は、偽瞞と矛盾のなかに、生活の方向を失はうとしてゐるのである。青年の無気力が云々され、インテリ階級の頽廃が論ぜられるといふのは、結局「日本はどうなるか」といふことの不安に原因があるばかりではない。さういふなかで「正しく生きる」道を指し示す「文化的標識」を見失つてゐるからである。
「正しく生きる」と云へば、非常にむつかしい議論になるが、要するに、分に応じて自己の仕事を選び、社会の一員として悔いのない生活を送ることである。生半可な政治知識で天下国家を論じる必要はないし、実行力なくして結社に投じてみてもはじまらぬ。たゞ、民衆としての要求は、それぞれの機会に与へられた公民権の行使によつて反映させる外はない。とすれば、個々の生活のなか
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