に通じて、なほ確固たる民族意識を象徴する風俗的特色を失はずに今日に到つてゐる。ところが、明治維新以後の日本は、政治的変貌と同時に、好むと好まざるとに拘はらず、まつたく世界歴史に類似のない風俗上の伝統破壊を敢行した。つまり、文明開化の精神は、形式的には、西洋の風俗を出来得る限り採用することにあつたのである。
こゝで、ひとつ、問題があると思ふ。それは、今日と雖もさうであるが、抑々文明又は文化といふ観念の甚だしい混乱、不徹底、錯誤から、色々な悲喜劇が生じたことである。
例へば、西洋風俗は一から十まで「近代的」であると信じた誤りが一つ。そのうちに、西洋文明は単に「物質的」な面でのみ優れてゐると主張する認識不足がその二つ。
現代では「文化的」と云へば、きつと「西洋風」を連想する一方、これを遺憾とする風潮のなかゝらまた「日本文化」を過大評価する傾向が生れ「日本精神」又は「日本趣味」が、多くは「封建的」で「鎖国的」で「非人間的」でさへあることを忘れがちな議論が横行する始末である。
民族性を強調する場合、屡※[#二の字点、1−2−22]独善に陥り、国際性を説く者が須く自卑的な口吻をもらすのは、
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング