“にんじん”を観て
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)白《せりふ》
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 映画「にんじん」をみて、第一に感じたことは、監督デユヴイヴイエが、単にルナアルの小説及び戯曲からその主題を藉りたといふばかりでなく、ルナアル流の「文章的表現」を、映画のリズムによつて組立てやうと試みてゐることだ。
「イメージの猟人」たる原作者は或る意味に於て、キヤメラの魂に通ずるものがあるかも知れぬが、悲しい哉、暗示と省略の二点で、映画は文学に一歩を譲らねばならぬ。
 但し、ルナアルの作品自体から、自然と生活の雰囲気を感ずることは、日本の読者には十分望めぬことであり、デユヴイヴイエの映画的表現によつて、仏蘭西の田園を包む影と光が、まざまざとわれわれの心に触れて来る。
 俳優も、それぞれ先づ適役と云ふべきであらう。
 主人公「にんじん」に扮するリナン少年は若干美少年過ぎるところが欠点。母親になるフオンツネエ夫人は、寓話的人物としてその持味を活かしてゐる。古典悲劇の侍女役然たるそのデイクションも、監督は参つたらうが、この映画にはさほど邪魔にならぬ。
 父親のアリイ・ボオルは
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