興しようとしたこともある。逆に近ごろは電子が輻射に變じてしまふとまで論ずる學者がある位だ。多くの人は、考へ方が習慣と異つて來ると、思はず暗礁に乘り上げた氣持ちがするから、何となく抗議を申込みたくなる。しかしプランクの破天荒な思索で遂に輻射の疑惑を解釋することができた。これが量子論の發端である。通俗に考ふれば、物質が量子であることが最も理解し易い、また荷電も電氣量子の倍數であることを容易に考へ得る。
これと前後して明瞭になつたことは、原子が陽電氣を帶ぶる核と、陰電氣を帶ぶる電子の或る數からできてゐて、陰陽相均しき場合に普通の状態に在ることである。しかし原子その物の内部の組織は如何なる仕組であるか判明しなかつた。今原子を商店に例へてみれば、二十世紀はじめころまでは、商店をそとから覗いて商品やその飾り付けを觀てゐたばかりである。量子論が啓けてからこの方面では意外な掘出物をした。今度は商店の内に入つて、その品物の造り方を調べ、店の帳簿まで檢査して見ようと大膽な擧動を發揮してきた。その結果、店先きに在るものは電子ばかりである。その電子がどんなものであるかは單に臆測に止まつて、只陰電氣を帶びてゐ
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