といひ度い。やがてミダスの神が觸るものはすべて黄金化したやうに、黄金入りの千生り瓢箪は、市の到るところにぶらさがつてゐる時代が來ることを豫測される。
然らば金倉を築くが大阪人の本能であるかといふに、決してさうではない。清代の碩學兪曲園は、日本人の作つた漢詩を評して、堺と池田に流寓してゐた廣瀬旭莊をもつて東國詩人の冠となした。その詩中に百濟の王仁の墓を詠じた一首がある。王仁は論語と千字文を傳へ、我邦に漢學の種を蒔いた先驅者である。その墓は北河内郡菅原村にあることをこの間突き止めた。その教へた所も餘り遠くはないから、大阪は漢學の發祥地である。維新前の學問は多く漢學に頼つたが、變則に反り點を付けて讀んでゐたから、漢學者の作つた詩文は、へんてこな文辭を綴つたものではあるまいか、こゝに漢學者の批評をすることは御免蒙る。徳川時代になつて、日本文學史に異彩を放つた近松門左衞門は大阪に住んでゐた。漢學の餘弊を離脱してその該博な知識をもつて、流暢明快に五花八陳の美文を劇壇に供へた。この日本のシェークスピアーは前に古人なく後に來者なき作者であつて、大阪の否、日本の誇りとすべき文壇の巨擘である。
科學者
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