では「午蒡汁」]、あん餅くらはんか、卷ずしどうぢや、酒くらはんか、錢がないのでようくらはんか」
[#ここで字下げ終わり]
と叫んだ。船中で眠い眼をこすりこすり聞けば、いかにも横柄で、こんな奴の品物を買ふもんかと思はしむる。しかし賣子をかすかな燈に照して見れば、しわくちや翁が、水洟たらして、舟を三十石に横付にし、物品と錢の交換を始める。錢は一度握つたら容易に離さぬ風勢で、喰はんか喰はんかと呼んでゐた。夜半空腹となつたころであれば、呼聲に愛想つかしても買はないわけには行かぬ。末の句で錢がないのでよう喰はんかといはれると、意地にも買はざるを得ない。錢の價値をこんなに強調してゐるのは、大阪當時の精神を吐露してゐる。地獄の沙汰も金次第、錢のまうからない奴は相手にならぬ。錢の價値を知らぬ奴は世渡りができぬ。算盤珠のはぢけぬ奴は仲間に入れぬといはぬばかりの口調である。實に徳川の威令嚴かなるころ、この語調を弄して憚らなかつたのは、大阪氣性に叶つたからであるが、さりとも口傳の家康に關する祕密の歴史があるからか、いづれにしても最初にこの特權を獲得した喰はんか翁は、凡人であるまい。
三十石で伏見から淀川
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