る形勢になつて來た。
ヴェニスに遊んだ人には、中世紀から傳はつたゴンドラが昔を偲ばしむる好材料である。大阪にも半世紀前には底の平なゴンドラらしい柴舟が澤山浮いてゐた。ゴンドラに比ぶれば美術的でなく、むしろ實用向きに造られた。徳川時代に伏見と天滿橋の間を往復した三十石は、その大形であつて、維新前の交通が頗る悠長であつたことを思はしむる。
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「淀川三十石、のぼりくだりの川中で、御客をとらへて、喰はんか、くらはんか、ポンポコネ、ポンポコ/\ポンポコネ」
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といふ端唄がある。予は稚ないころ伏見に往復したことがある。三十石は棹で押すか、綱で引くか、瀬の工合で共用したのである。一晩かゝつて伏見、大阪を聯絡するのだから、今日の電車や汽車が網を張つた、スピード時代には思ひもよらぬ、遲い交通機關であつた。しかしそのころから大阪魂とでもいふべきものは、喰はんか舟の呼聲に提唱された。
喰はんか舟は食料品を載せた片家根の柴舟であつた。三十石を川中で邀撃して、乘客に菓子や酒を賣付ける。
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「くらはんか、くらはんか、牛蒡汁[#「牛蒡汁」は底本
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