たが、気を取り直して快活に、「えゝ。今夜は三土会《さんどくわい》だから。鳥渡顔を出して来ます。」と云ひすてて、急いで家を飛び出して了つた。
 会場は家のすぐ近所のE軒だつた。私がウエーターに導かれて、そこの二階の一室に上つて行つた時、もう連中は大部分集つて、話も大分|弾《はず》んでゐる所だつた。私が入つて来たのを見つけると、幹事役のEが立上つて、
「やあ、よく来たな。今日も君は居ないかと思つた。」と大声で云つて迎へた。
「いや。……」と私は頭に手をやり乍ら、それでも晴々した気持になつて、揃《そろ》つてゐる皆《みんな》の顔を見渡し乍ら、嬉《うれ》しさうに其処《そこ》の座についた。けれども入つて来るといきなり、Eに一本参つた後なので内心に少々|疚《やま》しさがあつたといふよりも、一種のはにかみ[#「はにかみ」に傍点]から、椅子《いす》は自ら皆の後ろの、隅《すみ》の方を選んで了つた。
 席上には一人二人新らしい顔が見えた。Eが「紹介しようか。」と云つて、一々それを紹介して呉れた。それはM大学出の若い人たちだつた。その人たちが吾々の作品――と云つても主としてAのに――傾倒してゐて呉れる事は前から知つてゐた。そして私もその人たちの創作や評論なぞを読んで幾らか興味を感じてゐた一人だつた。その中でもN君は一見して、山の手の堅い家に育つた、健全な青年の風貌《ふうばう》を備へてゐた。彼が今時の青年に珍らしく、童貞である事も前に聞いてゐた。私は一種の尊敬を以て、此のハイカラな厭味《いやみ》もないではないが、いかにも青年らしい清純な姿の前に頭を下げた。
 私はいつか改まつたやうに固くなつてゐた。何だかいつもと違つた雰囲気《ふんゐき》の中へ、一人で飛び込んだやうな気さへした。いつもは連中の顔さへ見れば、自《おのづか》ら機智がほどけて来る唇さへ、何となく閉ざされてあつた。
「おい。どうしたんだ。そんな隅の方にゐないで、ちつとは此方《こつち》へ出ろよ。」目ざとく其|状態《ありさま》を見て取つたAが、いつもの快活な調子で、向うからかう誘ひかけて呉れた。
 私は席をやゝ中央に移した。
「Kが今入つて来た所は、まるで放蕩息子の帰宅と云つた風だつたね。」私の腰を掛けるのを待つて、Hは傍《そば》から揶揄《やゆ》した。Hの揶揄の中には、私の気を引立たせる調子と、非難の意味とを含んでゐた。
 私は黙つて苦笑してゐた。するとそれに押しかぶせて、直ちにAがかう云ひ足した。
「入つて来た時は放蕩息子の帰宅だつたが、かうしてよく見ると、之《これ》から出掛ける途中に寄つたと云ふ形だね。」
「もう沢山だ。」私は幾らか本気で、かう遮《さへぎ》らざるを得なかつた。が、内心では彼等にかう揶揄《からかは》れる事に依《よ》つて、私も一人前の遊蕩児になつたやうな気がして、少しは得意にもなつてゐた。『遊ぶ』といふ事、それは私にとつて、幾らか子供らしい虚栄《みえ》も含まれてゐたのだつた。
 その中に食堂が開いたので、話は自ら、別な方面へ移つて行つた。彼等はナイフやフォークの音の騒々しい中でも、軽快極まる警句の応酬や、辛辣《しんらつ》な皮肉の連発を休めなかつた。而して私も一二盃の麦酒《びーる》に乗じて、いつの間にかその仲間入りをしてゐた。
 食後の雑談は、更に賑《にぎや》かに弾んだ。私は既に完全に、彼等の仲間になり切つてゐた。私は他人に劣らず饒舌《おしやべり》になつた。而して皆に劣らず警句の吐き競べを始めた。
 すると、どういふ加減だつたか、私はふと妙に醒《さ》めたやうな心持になつた。それは私の警句や皮肉は、一種の努力を要するために、ふとどうかした機会があると、『俺はかうして彼らと肩を並べるために、伸び上り/\警句めいた事を云つてゐるが、そんな真似《まね》をして何の役に立つのだ。』と云ふ反省が起るからであつた。而してかう云ふ風に醒めて来ると、自分の凡才が憐まれると同時に、彼等のさうした思ひ上つた警句や皮肉が、堪《たま》らなく厭になつて来るのだつた。そこでたとひ第一義的な問題に就《つ》いての、所謂《いはゆる》侃々諤々《かん/\がく/\》の議論が出ても、それは畢竟《ひつきやう》するに、頭脳のよさの誇り合ひであり、衒学《げんがく》の角突合であり、機智の閃《ひら》めかし合ひで、それ以上の何物でもないと、自ら思はざるを得なくなつて来るのだつた。
 私は急に口を噤《つぐ》んで、考へ込んで了つた。
 すると其処には、自ら別な想像の場面が浮上つた。それはあの『喜撰』の二階であつた。そこの桑の餉台《ちやぶだい》の上には、此処《こゝ》のやうな真つ白な卓布を照らす、シャンデリアとは異《ちが》ふけれど、矢つ張り明るい燈火が点《とも》されてあつた。而してそれを取囲んで、先刻《さつき》別れて来たばかりの、SやYやTやが、折か
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