せば、黙つて許して呉れるだらうとの、虫のいゝ予期を持つてゐないではなかつた。そして其虫のよさを自分では卑しみ乍《なが》らも、其位の虫のよさなら、当然持つて然《しか》るべきものだと、自ら肯定しようとしてゐた。――初めは、世間の人々の嘲笑《てうせう》を慮《おもんぱか》つて、小さくなつて、自分の失恋を恥ぢ隠さうとしてゐたのが、世間の同情が、全く予期に反して、翕然《きふぜん》として、自分の一身に集つて来るらしいのを見て取ると、急に大きくなつて、失恋をひけらかしたり、誇張して享楽したり、あまつさへ売物にしたりして殆《ほと》んど厚顔無恥の限りを尽したが、世間もそれを黙つて許して呉れてゐるので、益々いゝ気になつて了ひ、いつでもそれを持出しさへすれば、許して呉れるものとの、虫のいゝ固定観念を作つて了つたのだつた。勿論《もちろん》一方ではさうした自身を、情なく思ひ乍らも。――で、自分では飽くまで今の生活を、許され得るものと、思ひ込んでゐたのだつた。周囲の友人たちも、もう許して呉れるに定《きま》つてゐるものとさへ、思ひ込んでゐたのだつた。
或《あ》る正月初めの一日だつた。私は二日ほど家をあけた後で、夕方になつてから、ぼんやり家へ帰つた。云ふ迄もなく母は不機嫌《ふきげん》だつた。さうして黙つたまゝ、留守の間に溜つてゐた書状の束を、非難に代へて私の眼の前につきつけた。私も黙つて受取つて書斎に入つた。
その後《おく》れ馳《ば》せの年始状や、色々な手紙の中に一枚、Eから来た端書が入つてゐた。私は遊び始めてから、暫《しば》らく周囲の友だちと会はなかつたので、何となく涙ぐましいやうな懐《なつか》しさを以て、その端書に誌《しる》された彼の伸びやかな字体を凝視《みつ》めた。それは×日に吾々親しいものだけが集つて新年宴会とでも云ふべき会をしたいから、君も是非出席しろと書いてあつた。×日と云へば今日だ。そして時間ももう殆んど無い。それにしても間に合つてよかつた。私は家に帰つてすぐ、又飛び出す体裁の悪さを考へたが、久しぶりで健全な友人たちと、快活な雑談を交す愉快さを思ふと、兎《と》も角《かく》も出席しようと心に決めた。而《そ》して一旦脱ぎ棄《す》てた外套《ぐわいたう》を、もう一度身につけた。
「また出掛けるのかい。」その様を見て茶の間の方から、母がかう言葉をかけた。
私は鳥渡《ちよつと》辛《つら》かつ
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