浅間《あさま》の煙りが曲つてなびき、光つた風が地平を払つて、此小さい街々にあるかない春の塵をあげた。再び云ふがそれは乾いた春であつた。
 其《その》一日《あるひ》、私はいつもと違つて早く遊びを切り上げて家《うち》へ帰つた。私にはどこへ行つても友達の二三はあつた。そして其友達たちの多くは定《き》まつて年上の子であつた。それは一つには私がひどくませてゐて、まだ学校へ入らぬ前から読本《とくほん》なぞも自由に読め、且《か》つ同年位の子の無智を軽蔑したがる癖があつたのと、一つには父が土地の小学の校長をしてゐた為めに、到る所で私は『校長の子』といふハンディキャップの下に、特別に仲間入りをさせて呉れる尊敬を彼等の間に贏《か》ち得たからであつた。その校長の子は今日その遊び仲間を振り切つて帰つて来た。何となしに起る儚《はか》ない気鬱《きうつ》と、下腹に感ずる鈍い疼痛《とうつう》とがやむを得ずその決心に到らしめたのである。
「腹を下すと又叱られる。」
 と私は帰り乍《なが》ら小さい心の中《うち》で思つた。そして、「家へ帰つて少しの間静かにしてゐれば癒《なほ》るだらう。さうすれば誰にも知られず、又叱られもし
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