本進一』と書いてある。重役の顔には一時妙な予期の皺《しわ》が生れた。そして其下から幅の広い声が出た。
「宜《よろ》しい。此処へ通せ。」と女には答へて、重役は事務員に向つて、かうつけ加へた。「又手品師が雇つて貰ひに来たよ。例によつて試験をしてやらうと思ふ。」
「うまかつたらチャリネ館の方へ掛けるんですか。」と事務員が訊《き》いた。
「さうだ。異《かは》つた手品ならもう一人位あつていゝだらう。」
作者の黙想が一時破られた。併し彼は咄嗟《とつさ》の間に「あゝ世には手品師といふ職業もあるんだな。」と考へついた。――
手品師は、女給に伴れられて事務所へ入つて来た。見ると青い縞《しま》の洋服を着てゐる。山高帽を脱いで手に持つてゐる。そして厭に落着いた足どりで入つて来る。彼は四方《あたり》を見廻して、軽く皆に会釈をし乍ら重役に近づいた。重役は立上つた。二人は日常の挨拶《あいさつ》をし合つた。
「今迄どこにゐたんだね。」重役は鷹揚《おうやう》に訊いた。
「上海《シャンハイ》にゐました。その前は永く米国にゐたんです。手品はそこで修業しました。私のは手品といつても他人《ひと》のと異つてますんで、入神術
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