早く自由が得られ、思ふまゝの創作ができる日を望んだ。
 併し、慣れるに伴《つ》れて、骨《こつ》を呑《の》み込んで了ふと、すべてが御し易《やす》くなつて来た。見物といふものも初めは恐かつたが今は可愛《かはい》くなつた。彼は彼等の心もちを自由に浮沈させる事が愉快になつて来た。厭で堪《たま》らなかつた商売がだん/\面白くなつて来る。此頃ではふと生涯の目的を忘れるやうにすらなつた。そしてそれと気がつくと驚いて自分を叱《しか》つた。此儘《このまゝ》下らない作者に堕《お》ちて了ふのは、余りに惜しい芸術的素質が自分にはある筈《はず》だ。併し自分の創作が思ふまゝにできる日はいつ来るであらう。その日の来るまでに、此商売が自分を毒して了ひはしないだらうか。彼はつく/″\職業といふことを考へた。人が何を措《お》いても先《ま》づ食つて行かなければならないと云ふのは何といふ悲惨なことであらう。併し世間には好きなことをして食つて行く人もあるんだ。自分の信ずる道を歩いてそれで報酬を得てゐる人もあるんだ。彼は世間の自由な文学者の事を考へた。学者のことを考へた。それからあらゆる職業のことを考へた。職業にはいろ/\ある。
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