品師はそれをしばらく満足げに見てゐたが、そのうち兎が自分の方を見たと思ふと、いきなり妙に手の指を兎の前で開いて見せて、ぱつ! ぱつ! と四五度叫んだ。すると不思議なるかな、兎は急に耳を伏せて、ころりと眠つて了つた。
「決して死んだのではありません。此通り心臓が動いて居ります。」かう云つて彼は又案内人の方をちらりと見た。
「一種の催眠術だね。」重役がいくらか堪能して云つた。「そしてそれはいつになつたら眼を覚すのだい。」
「起さうと思へばすぐにも起きます。寝かして置けば百二十五歳までも寝て居ります。」彼は少なからず自分の警句を悦《うれ》しがつて云ひ続けた。「かうして置けば三日でも四日でも餌を食はずに寝て居ますよ。この方が騒がなくて取扱ひいゝ位です。」
「俺も一つかけて貰つて飯も食はずに寝てゐようかな。」事務員の一人がこんな事を云つた。
「なるほど騒々しくなくていゝでせうよ。」作者が事務員を冷やかした。
手品師は黙つてこの対話を聞いてゐたが、中にも重役のいたく興味を動かした表情を見てとると、益※[#二の字点、1−2−22]快活に、
「では又目を覚してお目にかけませう。」
彼は又ぱつ! ぱつ! を繰り返した。そして卓の上から生き返つた兎をひよいと床に落した。兎は、今迄あんなにぐつたりとしてゐた兎は、鳥渡《ちよつと》姿勢を整へて二三度弱い乍らも明白な跳躍を試みた。
作者はふと生の跳躍と云ふ流行語を思ひ出して一人でふゝと笑つた。
「※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]も寝るかい。」重役がきいた。
「えゝ寝せて御覧に入れませう。みんな寝ころびますよ。奴等はすべての場所を待合と心得てゐるのですね。」手品師は卑しい笑みを湛《たゝ》へて云つた。「只《たゞ》鳩だけは寝ません。鳩は利口ですからな。先生方は御存じでせうが鳩の賢いことは聖書にもあります。」
「鳩ぢやない。ありや蛇だらう。」作者は此男の知識に内々驚き乍ら口を出した。
「どちらだか実は知らないのです。只さう米国で人に聞きましたので。……」手品師は大仰《おほぎやう》に頭を掻《か》き乍ら云つた。そしてすぐさま次なる※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]を眠らせにかゝつた。
※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]も手品師の手で、羽掻《はが》ひを抑へられた時は、けゝと鋭い声を揚げただけで、彼の手から卓上に置かれた時はもう首をだらりと伸ばしたまゝ横になつて了つた。
それから彼は一つの手函《てばこ》を持ち出した。それは方一尺あるかない小さな桐《きり》の白木で出来てゐて、厭に威嚇するやうな銀色の大きい錠が下りてゐる。彼はそれをぽん/\と叩《たゝ》いて見せて、
「さあこれは御覧の通り、種も仕掛もない函です。どなたかこれに何ぞお入れ下さい。私が透視してお眼にかけます。」
一人の事務員が面白がつてそれを室の隅へ持つて来た。そしてポケットから恰度《ちやうど》其日用があつて入れて置いた巻尺を取り出して入れた。
手品師はそれを受取ると五尺ほどの足のついた台上に置いて、自らは蝋燭《らふそく》を点《とも》し、箱の上下左右を照して、暫《しばら》くはぢつと目を瞑《つぶ》つた。
事務員たちは手品師の困惑してゐるらしい態《さま》を見て、幾分か嬉しい気分になつて私語《さゝや》き合つた。
「これは世の常の物ぢやありませんね。」やゝあつて手品師は云つた。「長さから云へば四五尺で細長い紐《ひも》のやうなものです。そして何だか蛇のやうにとぐろを巻いて居ります。それから小さな金具が着いてゐますね。どうもお意地がわるく|六ヶ《むづか》しいものを入れて下すつたんで困りましたよ。どうです、少しは当りましたか。」
彼は機嫌《きげん》をとるやうに事務員の方を向いてさう云ひ乍ら封印を切つた。中からは巻尺がもとのまゝで出て来た。
「なるほど。」重役は感心した。
「あゝものさしですね。だうりで測り兼ねましたよ。」と手品師はその洒落《しやれ》が云ひたいのでわざと当てなかつたのだと思はれる位、流暢《りうちやう》に云つた。皆は又一しきり哄笑した。彼は益※[#二の字点、1−2−22]得意になつて云ひ続けた。
「では一つ皆さんのはつ[#「はつ」に傍点]と思ふ奴をお目にかけませう。千里眼なぞは実は函を受取る時に音を聞いたり、そつと見たりするのですが、これこそほんとの手練です。どこか此処に大根は売つてゐないでせうか。」
「おひさちやん、おまへ買つておいで。」と事務員が受付の女に命じた。
「だつて昼日中大根をさげて歩くのは可笑《をか》しいわ。」女が快活に笑つた。
「まんざらさうでもあるまいぜ。今からその位の世話女房の練習はして置くさ。」
「女房に仕手《して》なんぞありやしなくてよ。」
「ぢや私がなりませうか。」手品師が口を出した。女はひよい
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