と云つてるんです。」
「ふむ。すると気合師なんだね。」
「えゝさうです。何んでも気合一つで鳥獣を眠らせたり、函《はこ》の中にあるものをあてたり、又は刀で腕の上に載せた大根を切つたり、ビール罎《びん》を額に打ちつけて割つたりするんです。」
「ふうむ、それは異つてるね。実は今チャリネ館には君も知つてるだらうが羽黒天海と云ふ手品師が一人ゐるんだがね。」
「あゝ、あの骨牌《かるた》と赤玉のうまい。あれでせう。」と手品師は重役の口吻《こうふん》に満足して云つた。「あの人のは普通の手品です。」
「ぢや試験に一つ君のを見せて貰《もら》へまいかな。何処《どこ》でも一応は試験をするんだが。……」と重役は云つた。
「えゝやりませう。お目にかけなくちや私の技倆は解りますまいから。」手品師はあらゆるかう云ふ芸人に共通な自慢さを以て云ひ放つた。
 事務員たちは卓子《テーブル》を少し引寄せて、広くもない事務所の中央に余地を作つた。黙つてゐた作者も笑ひ乍ら手伝つた。そして彼等は重役と共に傍の壁に凭《よ》りかゝつて、此の手品師のする処を見てゐた。
 手品師はするりと上衣《うはぎ》をぬぎ棄《す》てた。彼は快活に周囲を見廻し、それから心持|昂揚《かうやう》した声でかう云つた。
「では初め鳥と獣を眠らしてお目にかけませうか。私はこれを禽獣《きんじう》降神術と名附けてゐるんです。」
「生憎《あいにく》鳥も獣も此処にゐないぢやないか。」と重役が云つた。
「其用意はちやんとして来ました。」と云つて彼は女給を顧み乍ら、「姉さん。済みませんが入口に置いてある箱を持つて来て下さい。」
 小さな檻《をり》が運ばれて来た。それには兎と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]とが入れてあつた。
「皆さん。御覧の通りこれは私が今日通りがゝりの鳥屋から借りて来た正真正銘の兎です。」とかう彼は慣習になつた口上めいた事を云つて、四周《あたり》の人たちをずつと見渡した。彼の後ろのみかど座へ通ずる出入口には、暇になつた案内女たちが二三人、青い服を着て微笑《ほゝゑ》み乍ら見てゐた。手品師は時々その方をちらりと見捨てた。
「では一ツこれを眠らして御覧に入れませう。」彼は又かう繰り返して、兎をそこの卓上に置いた。白い兎は今迄押へられてゐた耳を一ふり二ふり振つて、まだ自分の今の位置を自覚してゐないかのやうに赤い目をきよと/\させた。
 手
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