って傍の壁に凭《よ》りながら見ていた。彼の顔には、「だんだん俺《おれ》の思い通りになって行くぞ」という満足の微笑があった。
 二三日してから法科がまた口惜しがって挑戦《ちょうせん》をして来た。その時は四分の力漕をやってこっちが半艇身ほど敗けた。けれども法科とおっつかっつ[#「おっつかっつ」に傍点]に行くというのはもう紛れもない事実であった。そして皆はそれにかなり満足していた。

     三

 競漕の日はだんだん近づいて来る。その一週間ほど前に学習院の競漕会があった。それには文農二科が来賓として混合競漕をするはずになっていた。混合というのは敵味方の中堅――三番四番――を交換して漕ぐのである。この時が敵味方初めて正式に顔を合わせるの時であった。双方の艇は一緒に台船のところで順序の来るのを待っていた。選手の中では高等学校の関係から知った顔もあるので互いに挨拶《あいさつ》などをし合った。それからまるで艇のこととは関係のない問題を何か話し合っていた。文科の整調の窪田は農科の舵手《だしゅ》の高崎と同じ中学を出て同じく一高に入った親友であった。しかし高等学校の時からしばしば敵対の地位に立たせられて来たので、何となく疎隔されてしまい、今では二人はまるで外出行《よそゆ》きの話しかしなくなってしまった。二人は出身地方の土語を用いて妙な蟠《わだかま》りのある話を始めた。それも、
「今年はいつもよりお寒うござす[#「ござす」に傍点]な」というような当り障《さわ》りのないことを言うのであった。そしてたまたま艇のことに及んでもお互いに冷たい好意で敵手のことを賞《ほ》め、わざとらしいまでに自分の方を謙遜《けんそん》した。彼らはお互いに自分の方を「駄目ですよ、僕の方こそ駄目ですよ」なぞと言い合った。こうしているうちには誰れでも敵味方で二三言は言葉を交した。そしてお互いに敵手が案外人の好いのに驚いた。敵愾心などというものは平凡な発見ではあるが、ある団体間の自欺的邪推であるということが個人個人にはわかった。物に感じやすい四番の斎藤なぞは漕いでしまってから向うの舵手に「御苦労でした」と言われて今までの敵意をすっかり「隅田川へ流してしまった」と自白したほどであった。
 しかし主将たる窪田らの心の中はこの間にも敵の船脚《ふなあし》や漕法に注意することを怠らなかった。彼は競漕の間に自分の艇へ来ている敵の中
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