た。
「なあにこれから三日目ごとに一分ずつ増して行けば競争までには楽に五分漕げることになるよ。三分どこが一番苦しいんだ。今の三分力漕を十分仕上げておけばあとの二分はその割に苦しくないもんだよ」と窪田は慰撫《いぶ》的に言った。皆の心には軽い奮励の心が湧《わ》いた。
 農科の艇はその後も幾度か勝ち誇った自信の下に、文科の眼前を力漕して通った。しかしこっちではそれを見せつけられた日にはことに皆の練習に油が乗った。そしてこのごろでは勝負などはどうでもいいなどと思っている久野までかなり激烈な敵愾心《てきがいしん》に支配されるようになった。こっちの艇は農科の前では努めてわざと力を抜いた。それでも向うも眼を光らして見送ることはこっちと異りなかった。いい加減な自信がついた時、誰言うとなく「農科の前を精一杯うまく漕いで見せてやりたい」と言い出した。しかし窪田はそれをとめた。そして競漕の三日前になったら、思う存分彼らの前でデモンストレーションをするからと言って皆をなだめた。その時分やっと窪田の思い通りに漕法が固まりかけていた。
 ある日こういうことがあった。文科の艇ではその日珍らしく弁当を持って上流の方へ漕ぎ溯《のぼ》って練習して見ようということになった。久野らは千住の手前で二度力漕をして、それからネギ(力を入れない漕ぎ方)で榛《はん》の木林の方へ溯った。するといつの間にかあとから農科の艇も漕ぎ上って来た。それも同じ調子でこっちを執拗《しつよう》に追跡して来るのである。何でも向うではこっちがそのうちに漕ぎ疲れて休むだろうから、そしたら漕ぎ抜いて早く上流へ溯ろうというのであろう。そうなるとこっちも意地である。向うが漕ぎやめるまでこっちも漕ごうという気になった。そしてネギとは言い条ほとんど力漕に近い努力で漕ぎ続けた。向うでは相変らずの調子で追うてくる。それでも艇と艇との間にはだんだん隔たりが生じてくる。皆はなおも興奮して小声で「ずんずん抜いてやれ」と囁《ささや》きながら漕いだ。ところが榛の木林を出外《ではず》れたところの川の真中に浚渫船《しゅんせつせん》がいて、盛んに河底を浚《さら》っていたが、久野は一度もこっちへ溯ったことがないので、どっちが深いのか分らず、何でも近い方をと思って船の左側に艇を向けたら、たちまちにして浅瀬に乗り入れてしまった。さあ皆が大いに慌《あわ》ててバックをして見たが
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