Iロッパ中部では、分業や職業の分布や人口密度が英蘭《イングランド》で見られるものとほとんど違わないから、その人口に対する妨げを、記述に価するほどはっきりした習慣や行状の特殊性に求めてみても、無駄であろう。従って私は、読者の注意を主として、各国の出生、結婚、死亡の表から得られた弱冠の推論に、向けたいと思う。そしてこれらの資料は、多数の重要な点において、吾々に、その国内経済に関し、最も烱眼な旅行者の記述にもまさる知識を、与えることであろう。
この種の表を考察するに当って、吾々がとり得る最も興味ありかつ教訓的な見地の一つは、結婚の死亡に対する依存ということであるように思われる。モンテスキウは、二人の者が安楽に暮すべき余地があれば、常に必ず結婚が行われるであろう、と述べているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは正しい。しかしヨオロッパの大部分の国では、その人口の現状では、家族を養う資料が何ほどか急激な大増加を告げると期待することは、経験上出来ないことであろう。従って新しい結婚に対する余地は、一般に旧い結婚の解消によって作られなければならない。その結果として吾々は、いかなる原因によろうと、とにかくある大きな死亡の後か、または政策が耕作や取引に特に好都合なように急変した後でなければ、年結婚数は主として年死亡数によって左右されることを、見るのである。両者は相互に影響し合う。一般人が、その子供を全部適当に養い得る十分な見込の立つまで結婚を延期するというほどに、先見の明のある国というものはほとんどない。従って、ほとんどあらゆる国では、死亡率の一部は過度に頻繁な結婚によって無理に作り出されるのであり、またあらゆる国では、高死亡率は、主として右の原因から起ったものであろうと、または都市や工場が多いとか環境が自然的に不健康的であるとかいう原因から起ったものであるとを問わず、必然的に頻繁な結婚を招来するであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Esprit des Loix, liv. xxii. c. x.
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以上述べたところを最も明かに例証する事例は、オランダの若干の村落にある。ジュウスミルヒは、疫病《ペスト》や戦争によって人口が稀薄になることのなかった国や、生活資料の急激な増加のない国では、住民数に対する年結婚の平均比率は、一〇七分の一ないし一一三分の一であると計算している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。また彼より後の時代に属する統計学者クロオメは、九三分の一と一二二分の一との平均をとり、住民に対する平均結婚比率を、一〇八分の一としている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかしジュウスミルヒが疑問の余地のないほど正確だとしているオランダ人の村落二二の記録簿では、六四人につき一の年結婚があるとなっている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。これは、平均比率に比べると極めて驚くべき乖離である。私は最初これらの村の死亡率を知らないでこの数字に接した時、大いに驚き、そしてジュウスミルヒが、オランダには職業の数が多く生計を立てる手段が多様であるということで、これを説明しようとするのに4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、ほとんど全く満足することが出来なかった。けだしこの国は久しく同一の状態を続け来ったのであるから、新しい職業や生活資料の何ほどかの増加を期待すべき理由はなく、また旧来の職業や生活資料はもちろん占守済であることは、明かであるからである。しかし、結婚比率が一〇八分の一である場合死亡率は通例三六分の一であるのに、ここではそれが二二分の一ないし二三分の一であること5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]が分ったので、この難問は大部分解決されたのである。出生と死亡とはほとんど等しかった。結婚が異常に多いのは、何らかの生活資料が発見されたのによるのではなく、従って何らの人口増加も生み出さなかった。それは単に、死亡によって古い結婚が急速に解消し、その結果として家族を扶養し得べき職業に空席が生じたために、生じたに過ぎないものである。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔Sussmilch, go:ttliche Ordnung, vol. i. c. iv. sect. lvi. p. 126.〕
2)[#「2)」は縦中横] 〔Crome, ueber die Gro:sse und Bevo:lkerung der Europ. Staaten, p. 88, Leipz. 1785.〕
3)[#「3)」は縦中横] 〔Sussmilch, go:ttliche Ordnung, vol. i. c. iv. sect. lviii. p. 127.〕 しかしながら、かかる結婚率は、オランダのような国では、領域内の出生からは供給され得ず、主として外国人の流入によって惹起されたものに違いない。そしてかかる流入は革命以前には絶えず行われていたことは、周知のことである。オランダは実にドイツの墓場と呼ばれているのである。(訳註――この註の文章の個所すなわち『しかしながら』以下は、第四版より現われたものである。)
4)[#「4)」は縦中横] Id. p. 128.
5)[#「5)」は縦中横] Id. sect. xxxvi. p. 92.
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この場合、結婚の余りにも頻繁であること、換言すれば生活資料の限界に対する余りにも緊密な人口の圧迫が、この死亡率をもたらすに最も寄与したのであるか、それともまた、人民の職業とこの国の不健康とにより当然に生じた死亡率がかかる頻繁な結婚をもたらすに最も寄与したのであるか、ということは、問題とせられ得よう。今の場合においては、私は、疑いもなく後の推定をとりたいが、その理由はなかんずく、革命前のオランダの一般人は全体として生活が裕《ゆた》かであったと一般に認められているように思われるからである。高い死亡率はおそらく、部分的には土地が自然的に湿地であり多数の運河があるからなのであり、また部分的には非常に多数の人間が坐業に従事しており健康的な農業に従事するものは非常に少いからなのである。
これらのオランダの村と極めて興味ある著しい対象をなし、この問題の例解に役立つ事例は、ノルウェイの状態について前に述べたところから想い出されるであろう。ノルウェイでは、死亡率は四八分の一、結婚は一三〇分の一である。オランダの村では、死亡率は二三分の一、結婚は六四分の一である。結婚においても死亡においてもその差は倍以上である。両者はその相対的比率を極めて正確に維持しており、そして死亡と結婚とがいかに相互に依存し合うものであるかを示し、また一国の農業が突如として躍進したために生活資料が増加される場合の外は結婚の増加は死亡率の増大を伴わなければならず、その反対もまた真実であることを、示すものである。
ロシアでは、この種の農業の突如たる躍進が、著しい程度に生じてきている。従って死亡率は極めて低いのに、結婚の比率はそうではない。しかし、ロシアの人口の躍進するにつれ、結婚の比率が依然として現状に止るならば、死亡率は不可避的に増大するであろうし、またもし死亡率が依然としてほとんど同一であるならば、結婚の比率が減少するであろう。ジュウスミルヒは、一国が清潔や健康や人口の程度で進歩し、一切の生計獲得手段についての職業がますます完全となるにつれ、結婚の比例数がこのように漸次低減することを示す、若干の極めて適切な事例を、与えている。
ハルレ市では、一七〇〇年に、年結婚数は総人口に対し一対七七であった。ジュウスミルヒの計算によれば、それに続く五五年間にこの比率は漸次変化し、一六七分の一となった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは極めて驚くべき差異であり、そしてもしこの計算が全く正確であるとすれば、結婚に対する妨げがいかなる程度に作用したか、またそれがいかに完全に生活資料に順応したかを、証明するであろう。しかしながら、この際人口は計算により推定されたものであり、実測によって得られたのではないから、比率上のこの極めて大きな差異は完全に正しくはないかもしれず、または部分的に他の原因によりもたらされたのかもしれない。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxii. p. 132.
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ライプチヒ市では、一六二〇年に、年結婚は人口に対し一対八二であり、一七四一年ないし一七五六年では一対一二〇であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxiii. p. 134.
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アウグスブルグでは、一五一〇年に、結婚の人口に対する比率は一対八六であり、一七五〇年には一対一二三であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxiv. p. 134.
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ダンチヒでは、この比率は、一七〇五年に、一対八九、一七四五年には、一対一一八であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxv. p. 135.
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マグデブルグ公国では、この比率は、一七〇〇年に、一対八七、一七五二年ないし一七五五年には、一対一二五であった。
ハルベルシュタット王国では、この比率は、一六九〇年に、一対八八、一七五六年には、一対一一二であった。
クレベス公国では、この比率は、一七〇五年に、一対八三、一七五五年には一対一〇〇であった。
ブランデンブルグ選挙伯領では、この比率は、一七〇〇年に、一対七六、一七五五年には、一対一〇八であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxxi. p. 140.
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この種の事例はなお多く挙げることが出来よう。しかし以上をもって十分次のことを証示するに足るものである。すなわち、それ以前に生じた大きな死亡率により、または耕作や取引の改善により、生活資料が突然増加したために、大きな結婚比率を許す余地が作り出された国においては、新しい職業がいっぱいになってしまい、増加し行く人口をこれ以上包容する余地がなくなるにつれ、この比率は年々減少するであろう、ということこれである。
しかし、久しく人口が充満しており、死亡率が引続き同一であり、また新しい生活源泉が何も開かれない国においては、結婚は主として死亡によって左右されるので、一般にいずれの時期においても総人口に対し同一の比率を採るであろう。そして、生活資料が年々増加する国においてすら、この増加が斉一であり永続的であるならば、これと同一の恒常性が生ずるであろう。半世紀の間、死亡によって解消される結婚以上に、毎年一定の結婚比率が許されるという状態であるとすれば、人口は増加しつつあるのであり、そしておそらくは急速に増加しつつあるのである。しかも結婚の総人口に対する比率がこの全期間を通じて依然同一であり得ることは、明かである。
ジュウスミルヒは、この比率を、種々なる環境において確かめようと努めている。ブランデンブルグ選挙伯領の村では、年々、一〇九人につき一の比率で結婚が行われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。かくて彼は、農村の一般的比率は一〇八分の一ないし一一五分の一と思ってよかろうと考えている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。死亡率がこれより高い選挙伯領の小都市では、この比率は一対九八であり3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、上述のオランダの村では一対六四、ベルリンでは一対一一〇4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]、
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