ゥしながら、かかる結婚率は、オランダのような国では、領域内の出生からは供給され得ず、主として外国人の流入によって惹起されたものに違いない。そしてかかる流入は革命以前には絶えず行われていたことは、周知のことである。オランダは実にドイツの墓場と呼ばれているのである。(訳註――この註の文章の個所すなわち『しかしながら』以下は、第四版より現われたものである。)
4)[#「4)」は縦中横] Id. p. 128.
5)[#「5)」は縦中横] Id. sect. xxxvi. p. 92.
[#ここで字下げ終わり]
この場合、結婚の余りにも頻繁であること、換言すれば生活資料の限界に対する余りにも緊密な人口の圧迫が、この死亡率をもたらすに最も寄与したのであるか、それともまた、人民の職業とこの国の不健康とにより当然に生じた死亡率がかかる頻繁な結婚をもたらすに最も寄与したのであるか、ということは、問題とせられ得よう。今の場合においては、私は、疑いもなく後の推定をとりたいが、その理由はなかんずく、革命前のオランダの一般人は全体として生活が裕《ゆた》かであったと一般に認められているように思われるからである。高い死亡率はおそらく、部分的には土地が自然的に湿地であり多数の運河があるからなのであり、また部分的には非常に多数の人間が坐業に従事しており健康的な農業に従事するものは非常に少いからなのである。
これらのオランダの村と極めて興味ある著しい対象をなし、この問題の例解に役立つ事例は、ノルウェイの状態について前に述べたところから想い出されるであろう。ノルウェイでは、死亡率は四八分の一、結婚は一三〇分の一である。オランダの村では、死亡率は二三分の一、結婚は六四分の一である。結婚においても死亡においてもその差は倍以上である。両者はその相対的比率を極めて正確に維持しており、そして死亡と結婚とがいかに相互に依存し合うものであるかを示し、また一国の農業が突如として躍進したために生活資料が増加される場合の外は結婚の増加は死亡率の増大を伴わなければならず、その反対もまた真実であることを、示すものである。
ロシアでは、この種の農業の突如たる躍進が、著しい程度に生じてきている。従って死亡率は極めて低いのに、結婚の比率はそうではない。しかし、ロシアの人口の躍進するにつれ、結婚の比率が依然として現状に止る
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