ネらば、死亡率は不可避的に増大するであろうし、またもし死亡率が依然としてほとんど同一であるならば、結婚の比率が減少するであろう。ジュウスミルヒは、一国が清潔や健康や人口の程度で進歩し、一切の生計獲得手段についての職業がますます完全となるにつれ、結婚の比例数がこのように漸次低減することを示す、若干の極めて適切な事例を、与えている。
 ハルレ市では、一七〇〇年に、年結婚数は総人口に対し一対七七であった。ジュウスミルヒの計算によれば、それに続く五五年間にこの比率は漸次変化し、一六七分の一となった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。これは極めて驚くべき差異であり、そしてもしこの計算が全く正確であるとすれば、結婚に対する妨げがいかなる程度に作用したか、またそれがいかに完全に生活資料に順応したかを、証明するであろう。しかしながら、この際人口は計算により推定されたものであり、実測によって得られたのではないから、比率上のこの極めて大きな差異は完全に正しくはないかもしれず、または部分的に他の原因によりもたらされたのかもしれない。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxii. p. 132.
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 ライプチヒ市では、一六二〇年に、年結婚は人口に対し一対八二であり、一七四一年ないし一七五六年では一対一二〇であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxiii. p. 134.
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 アウグスブルグでは、一五一〇年に、結婚の人口に対する比率は一対八六であり、一七五〇年には一対一二三であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxiv. p. 134.
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 ダンチヒでは、この比率は、一七〇五年に、一対八九、一七四五年には、一対一一八であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Id. sect. lxv. p. 135.
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 マグデブルグ公国では、この比率は、一七〇〇年に、一対八七、一七五二年ないし一七五五年には、一対一二五であった。
 ハルベ
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