し一七八二年の計算は一七六三年のそれより正確で完全だということになっている。人頭税を課せられない州を加えて、全体の数は、一七六三年に二〇、〇〇〇、〇〇〇、一七九六年に三六、〇〇〇、〇〇〇である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] Tooke's View of the Russian Empire, vol. ii. book iii. sect. i. p. 126 et seq.
[#ここで字下げ終わり]
トゥック氏の(訳註)『ロシア帝国論』のその後の版には、権威あるドイツの定期刊行物からとったもので、宗教会議で受理した一般報告から忠実に抜萃した、ギリシア教会の一七九九年の出生、死亡、及び結婚の表が載っている。この表は、正確な死亡表を作るのに特別の困難があるために加え得なかったブルツラウ管区を除き、すべての管区を含んでいる。その総計は次の如くである。
[#ここから2字下げ]
〔訳註〕このパラグラフから本章本文終末までは、第三版より現われたものである。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから表]
/男/女/計
出生/五三一、〇一五/四六〇、九〇〇/九九一、九一五
死亡/二七五、五八二/二六四、八〇七/五四〇、三八九
結婚/――/――/二五七、五一三
出生超過/二五五、四三二/一九六、〇九三/四五一、五二五
[#ここで表終わり]
人口を推算するに当り、トゥック氏は、死亡に五八を乗じている。しかしこの表は従来の表よりも正確のように思われ、また出生に対する死亡の比率は他の表よりこの表の方が大であるから、五八という乗数は大き過ぎるようである。この表では、出生対死亡の比率はほとんど一八三対一〇〇、出生対結婚は三八五対一〇〇、死亡対結婚は二一〇対一〇〇であると云い得よう。
これらはいずれも従前の表の結果よりも真に近いと思われる比率である。
一八二五年(訳註――本章の以下の部分は第六版のみに現わる。)
ロシアの人口は、放浪種族と新領地を加えて、一八二二年に、五四、四七六、九三一と見積られた。しかし人口のうち調査して最も興味ある部分は、出生、死亡、及び結婚の表の得られ得る部分である。
次の表は、大英百科辞典のロシアの項のところにあるもので、宗教会議が発表した報告書から作ったものであり、人民の最大部分
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