たとえ数時間といえども注意を弛めることを許さないのである。
 かゆい所へ手の届くように経営されている(それは一見した人は一致して主張しているところである)ペテルスブルグとモスコウとの、これら二つの育児院における驚くべき死亡率は、これらの施設の性質が、しからざればおそらく貧困または誤れる恥辱心から死滅すべき一定数の市民を、国家のために保存するという、その直接の目的に、合致しないことを、議論の余地なく証明するように、私には思われる。もしこれらの育児院に収容された子供らが、両親の世話に委ねられ、あり得る困難にすべて遭遇するのであるならば、もっと遥かに多数のものが成人して国家に有用な成員となったことであろう。
 この問題をもう少し深く考察してみると、これらの施設は啻にその直接の目的を達し得ないばかりでなく、また最も著しく不義の習慣を助長することによって、結婚を阻害し、かくて人口増加の主たる源泉を弱めるものであることが、わかるであろう。この問題について私がペテルスブルグで話し合った有識者はすべて、この施設がかかる結果を驚くべき程度に産出していることに、同意した。子供を産むということは、娘の犯し得るほんのつまらぬ過失の一つに過ぎぬと考えられていた。ペテルスブルグの英国人の一商人は、彼れの家庭に生活している一人のロシア娘は、極めて厳格と考えられている主婦の下で、六人の子供を育児院に送りながら、その地位を失わなかった、と私に話した。
 しかしながら、一般的に云えば、この種の関係で六人の子供というのは普通ではないと云うべきであろう。不義の習慣が一般に行われているところでは、出生の全人口に対する比率は結婚状態の場合とは決して同一でない。従って、不義から生ずる結婚の阻害と、その結果たる出生の減少とは、養えない子供を手離すことが出来るという、両親に与えられた期待によって、いかに結婚が奨励されても、その結果を打消して遥かに余りあるであろう。
 これらの施設施設に生ずる驚くべき死亡率と、それが明かに作り出す傾向のある不義の習慣を考えるならば、もし人が人口を妨げようと思い、しかもその手段を選ばないとすれば、子供の収容につき無制限の育児院を十分たくさんに設立するほど、有効な手段は考え得ないと云って、おそらく間違いがないであろう。そして国民の道徳的感情について云えば、母親にその子供を手離すことを奨励
前へ 次へ
全217ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング