の、明かな証拠である。子供達はいずれも蒼白くひよわい顔をしており、そしてもしロシア人の美醜が育児院の女児や男児で判断されたとしたら、それは非常に不利なことであったであろう。
もし育児院に属する死亡が除外されるならば、ペテルスブルグの死亡表は、健康度に関するこの都市の実情にいくらかでも近いものを表わすことの出来ないことは、明かである。同時にまた、子供の養育が少しでも困難だと思うものは、ほとんどすべて、その子供を育児院に送ってしまうのであり、そして安楽な境遇にあり、快適な家と風通しのよい境遇に生活する子供の死亡率がもちろん、生れた子供全体の一般平均より遥かに低い――これはおそらく事実であるが――ということを吾々が附言しない限り、この都市の健康性を証明する若干の観察、例えば死亡数の千分率等は、この事情によって影響を蒙るものではないことを、想起しなければならない。
モスコウの育児院は、ペテルスブルグのそれと全く同一の原理に基づいて経営されている。そしてトゥック氏は、その設立より一七八六年に至るまでの二十年間にここで生じた驚くべき小児死亡を報告している。これについて彼は、もし吾々が、収容後直ちに死んだもの、または病原を持ち込んできたものの数を、正確に知るならば、死亡数のうちわずか小部分が正当に養育院に帰し得ることが、おそらくわかるであろうが、けだし、健康な活動的な勤勉な市民を年々ますます数多く国に与えている慈善的施設の故に、かかる死亡者が出るのである、と主張するほど、不合理な人はいないであろうから、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] View of the Russian Empire, vol. ii. b. iii. p. 201.
[#ここで字下げ終わり]
しかしながら私には、この幼児死亡の最大部分は、慈善的と誤称されているこれらの施設に、明かに帰せらるべきものであると思われる。もしロシアの都鄙における幼児死亡率について与えられている報告が、少しでも信頼し得るとすれば、それが異常に小であることがわかるであろう。従って育児院においてそれが大であるのは、何にもまして母親の慈愛深い養育が必要な時に母親に子供を手放すことを奨励するところの施設のせいに帰して、間違いがないであろう。幼児のかよわい生命は、
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