は政府がすべて負担している。子供は無制限に収容されるので、費用もまた無制限であることが絶対に必要である。子供の収容が無制限であり、しかもそれを養う資金が限られているのなら、最も恐るべき害悪が生じなければならぬことは明かである。従ってかかる施設は、もし適当に経営されるならば、換言すれば、異常な死亡率が急速な費用の累積を妨げないならば、極めて富裕な政府の保護の下でなければ永続し得ないものであり、そしてかかる保護の下においてすら、その失敗の時期は、決して遠くはあり得ないのである(訳註)。
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〔訳註〕最後の『その失敗の』云々以下の所は、第二版では、『最終的には限度がなければならない』という、より[#「より」に傍点]弱い形をとっていた。
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 田舎へやられた子供達は、六、七歳になると育児院に帰ってき、そこであらゆる種類の仕事や手芸を教えられる。普通の労働時間は、六時から十二時までと、二時から四時までとである。女児は十八歳、男児は二十歳または二十一歳でそこを出る。育児院が一杯になり過ぎた時には、田舎にやられた子供の若干は連れ戻されない。
 主たる死亡はもちろん、収容されたばかりの幼児及び育児院で養われている小児の間に生ずる。しかし田舎から連れ戻された血気盛りなるべき年齢のものの間にも、かなりの死亡がある。私は、どの室《へや》も非常にさっぱりと清潔で気持のいいのに大いに打たれて後、このことを聞いていささか驚いた。育児院そのものは宮殿のようであり、どの室も大きく風通しがよく、優美でさえあった。私は一八〇人の男児が食事をしている時に居合わせた。彼らはいずれもきちんとした服装をしていた。卓布は清潔であり、各自は別々にナフキンをもっていた。食事は非常によく、室の中には不愉快な臭いは全然なかった。寄宿舎には、各自に別々の寝床があり、寝台は鉄製で天蓋やカアテンはなく、掛け布団やシイツは特に清潔であった。
 大きな施設ではこんなにさっぱりしていることはほとんど考えられぬことなのであるが、これは主として現皇太后に負うものであり、皇太后は経営のあらゆる点に関心をもち、ペテルスブルグ滞在中は一週間に一度自ら視察されぬことは滅多にない。これほど余すところなく注意が行届いているのにこれほどの死亡が生ずるのは、幼少年の体質が蟄居と一日八時間の仕事に堪え得ないこと
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