[#「1)」は縦中横] Id. p. 151.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. note, p. 150.
[#ここで字下げ終わり]
 育児院だけでも、死亡率は法外に大である。正規の統計表は発表されず、また口頭による報告は常に不確実を免れない。従って、私がこの問題について集めた報告は信用することが出来ないが、しかし、私がペテルスブルグの育児院の附添人について行った最も綿密な調査によれば、一箇月につき一〇〇人というのが一般平均であることを知った。その前年の一七八八年の冬には、一日に一八人を埋葬するのは珍らしいことではなかった。一日の平均収容数は約一〇人であり、そして彼らは育児院に三日を過した後、全部養育のため田舎へ送られるのではあるけれども、しかし、その多くは瀕死の状態で連れてこられるので、死亡率は必然的に大とならなければならぬ。従って収容数なるものはほとんど信じ得ないように思われるが、しかし私自身の実見したところからすると、私は、この比率も前記の死亡率も、事実を去ること遠からざるものと考えたい。私は正午頃育児院にいたが、ちょうど四人の子供が収容され、その一人は明かに死にかかっており、もう一人は余り永生きしそうもなかった。
 育児院の一部は産科院に当てられており、やってくる女は誰でも入院を許され、何の質問もされない。かくの如くして生れた子供は、育児院の保姆《ほぼ》によって育てられ、他の子供のように田舎へは送られない。母親は、望むならば、育児院で自分の子供に対し保姆の役目をすることが出来るが、しかし子供を連れ帰ることは許されない。育児院に連れられてきた[#「きた」は底本では「た来」]子供は、親が子供を養い得ることを証明し得るならば、いつでも取り返すことが出来る。そしてすべての子供は収容の際に、標識と番号を附けられるが、それは、親が子供を取り返し得なくとも、訪問することは許されているので、要求のあった時は子供を判別して引き合させるためなのである。
 田舎の保姆は一箇月わずかに二ルウブルを貰うに過ぎないが、現在紙幣ルウブルは半クラウン以上のことは滅多にないから、わずか一週約十五ペンスに過ぎない。しかも費用総額は一箇月一〇〇、〇〇〇ルウブルであるという。この施設に属する正常の収入ではとてもこれだけの額には達しないが、しかし政府自身がこの事業を全部引受け、従って費用の不足
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