に至るまで一貫して作用する自然的法則なのであることが、この表からわかる、と云っている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] Ibid.
 2)[#「2)」は縦中横] 〔Me'moires Abre'ge's de l'Acade'mie de Stockholm, p. 28.〕
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 クラフト氏によれば1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、ペテルスブルグで生れたものの半数は二十五歳まで生きるが、これはかかる大都市としては、若年時の健康度が異常によいことを示すものである。しかし、二十歳以後は、他のヨオロッパ都市のいずれよりも遥かに大きな死亡率が生ずるのであり、これは間違いなくブランデイの暴飲によるものである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。十歳ないし十五歳の死亡率は極めて低く、この期間の死亡は男子は四七分の一、女子は二九分の一に過ぎない。二十歳ないし二十五歳の死亡率は極めて高く、男子は九分の一、女子は一三分の一である。統計表は、この異常な死亡率は主として肋膜炎、高熱、及び結核によって生ずることを示している。すなわち肋膜炎で総人口の四分の一、高熱病で三分の一、結核で六分の一が斃《たお》れる。三者を合計すると死亡総数の七分の五となる。
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 1)[#「1)」は縦中横] 〔Nova Acta Academiae&, tom. iv.〕
 2)[#「2)」は縦中横] Tooke's View of the Russian Empire, vol. ii. b. iii. p. 155.
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 一七八一年ないし一七八五年の期間における一般死亡率は、クラフト氏によれば、三七分の一である。その前の期間では三五分の一であり、その後の伝染病の流行した期間では二九分の一であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この平均死亡率は大都市としては低いが、クラフト氏の文の一節から見ると2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、病院、刑務所、及び育児院における死亡が、全然除外されているか、または正確に与えられていない、と信ずべき理由がある。そして疑いもなく、これらの死亡を入れれば、この都市の外見的健康性は非常に違ったものとなることであろう。
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