謔閨m#「より」に傍点]大なる比率のものが結婚まで生存してしかも結婚がより[#「より」に傍点]晩婚となることは、明かである。』
 なおこの次のパラグラフも、第三版では若干の用語上の訂正の行われたものである。
[#ここで字下げ終わり]
 出生及び死亡の登録は、この世紀の後期より初期の方が脱漏が多かった、と想像すべき正当な根拠があるか否かという一般的問題については、私は次の如く云いたい。すなわち最近の報告は、初期のものが不正確であるとなす疑念を確証し、かつこの世紀の初期の記録簿は、あらゆる見地から見て、過去の人口の見積りの基礎としては不確実な資料を提供したものであるということを証示する、傾向がある。一七一〇年、一七二〇年、一七三〇年には、報告から見れば、死亡が出生を超過したように見える。そしてこの世紀の前半を含む一七五〇年までの六期間を採り1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、出生の合計を死亡の合計と比較するならば、出生の超過は極めて小であり、出生のみの計算に基づいて、この期間に生じたと想像される百万という増加を説明するには全く足りない2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。従って、記録簿が極めて不正確であり出生における脱漏が死亡における脱漏より大であるのか、または各十年を隔てるこれらの時期が正しい平均を表わさないか、といずれかである。これら特定の年は、出生の死亡に対する比率に関して、他の年よりも不利な年であったのかもしれない。実際、その中の一七一〇年という一年は、大きな凶作と困厄の年であったのは周知のことに属する。しかし、もしこの疑念が正しく最初の六期に影響を及ぼし得た――これは極めてありそうなことであるが――としても、吾々は、一七八〇年で終る次の三期に関しては、反対の事件が起ったのではなかろうかと、正当に疑い得よう。すなわちこの三十年間には、同一の計算法によって、百五十万の増加があったように思われるであろう3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。とにかく、このようにして採った別々の三年は、決して正当な平均を確立するに足るものとは考え得ないことを、認めなければならない。そしてこれらの特定の年が出生について通常以上に好都合であったのではないかという疑念をむしろ強めるものは、一七八〇年ないし一七八五年の出生の増加が異常に小であることであり4)[#「4)」は縦中横、行右小
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