に結婚の許可を得るだけのものでは満足せず、更に家族扶養の資ともいうべきものを手に入れ得るまでは、引き続き働きつづけるであろう。
私は、スイスに滞在中、比較的小さな州については詳しいことを知り得なくて大いに失望したが、これは国が争乱の中にあったために出来なかったのである。しかしながら、これらの小さな州はたいてい牧場であるから、人民の異常な健康や予防的妨げの絶対的必要という点で、ヴォー州のアルプス地方の教区に非常に似ているに違いない、と考えるべきである。ただし通常以上の移住の習慣や工業の開始(訳註1)によって、これらの事情に変化を生じている場合は、別である1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
1)[#「1)」は縦中横] ジュネエヴのプレヴォ氏は、本書の飜訳で、綿工業の開始された小州グラヴィについて若干の報告を行っている。それによると、この工業は最初は極めて繁栄し、そして早婚の習慣と著しい人口増加とを生じたが、しかしその結果として労賃は極度に低廉となり、そして人口の四分の一は、衣食の道を慈善に求めるに至った。出生及び死亡の人口に対する比率は、ヴォー州における如くに一対三六及び一対四五ではなく、一対二六及び一対三五となった。そして最終の飜訳に現われたその後の報告によれば、出生の人口に対する比率は、一八〇五年ないし一八一九年の一四年間に、一対二四であり、死亡のそれは一対三〇であった。
これらの比率は早婚の普及を示すものであり、そして、かかる地位とかかる境遇とにおけるその当然の結果は、――大きな貧困と大きな死亡率である。以上の知識をプレヴォ氏に与えたヘエル氏は、早くからかかる結果を予見していたように思われる。(訳註――この註の全部は第六版のみに現わる。)
〔訳註1〕『工業の開始』は第二版では『若干の地方に生じている工業の開始』とあった。
[#ここで字下げ終わり]
厳密な牧畜国の人口に対する限界は極めて明瞭である。山地の牧場ほど改良しにくい土地はない。それは必然的に主として自然に委ねざるを得ず、そして適度の家畜を入れてしまうと、それ以上ほとんどどうすることも出来ない。スイスのこれらの地方の大きな困難は、ノルウェイの場合と同様に、夏に山地で養われた家畜を冬の間養うべき十分な秣《まぐさ》を得ることである。この目的のために、最大の注意を払って牧草が刈
前へ
次へ
全217ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング