十分に理解していたことが、更にいっそう明かにわかる。相続法が不用意であるために、スパルタにおける土地所有は少数者の独占となってしまっており、その結果としてこの国の人口は大いに減少せしめられた。この害悪を救治し、不断の戦争に人間を供給するために、リコルゴス以前の諸王は、外国人を帰化させるのが常であった。しかしながら、アリストテレエスによれば、財産をもっと平等にすることによって市民の数を増加した方がはるかによかったことであろう。しかし、子供に関する法律は、この改善と正反対のものであった。立法者は、多くの市民を得ようと望んで、子供の増殖を出来るだけ奨励した。三人の息子をもつ男子は夜警の任務を免除され、そして四人の息子をもつ男は、一切の公共の負担から全く免除された。しかし、アリストテレエスが極めて正当に述べているように、多数の子供の出生は、土地の分割が依然として同一なのであるから、必然的に単に貧困の蓄積をもたらすのみであることは、明かである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横] De Repub. lib. ii. c. ix. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 107.
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 彼はこの点で、リコルゴスその他多くの立法者が陥っている誤謬をはっきりと認め、そして、これを養うために適当なものを与えることなくして、子供の出生を奨励したところで、多大の貧困を招くという犠牲を払いながら、それによって得る人口は極めて小であるということを、十分理解しているように、思われる。
 クレテの立法者1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]も、ソロンやフェイドンやプラトンやアリストテレエスと同様に、一般的貧困を防止せんがために人口を妨げるべき必要を認めた。そして吾々は、これらの人々の意見、及びそれに基づく法律は、大きな影響をもつことと想像しなければならないから、晩婚その他の原因による人口増加に対する予防的妨げは、おそらく、ギリシアの自由市民の間にかなりの程度で働いたことであろう。
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 1)[#「1)」は縦中横] Aristot. de Repub. lib. ii. c. x. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 113.
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 人口に対する積極的妨げとしては、これらの小国家がほとんど不断に行う戦争以外にこれを求める必要はない。ただし少くともアテネに一度激しい疫病が流行したという記録がある。そしてプラトンはその共和国が疾病によって大いに減少する場合を想定している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らの戦争は啻にほとんど不断であったばかりでなく、また極度に流血的であった。小部隊でその全部がおそらく近接戦を行うのであるから、これは、大部隊をなしていてその大部分がしばしば接近しない近代の軍隊に比較して、戦死者の割合が遥かに多かったことであろう2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そしてこれら共和国の自由市民は一般に全部兵士としてあらゆる戦争に従事したのであるから、損害は非常に深酷であり、そして極めて容易には恢復されないと思われるのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] De Legibus, lib. v.
 2)[#「2)」は縦中横] Hume's Essay, c. xi. p. 451.
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    第十四章 ロウマ人における人口に対する妨げについて

 イタリアの比較的小さな諸国家において戦争によってもたらされた荒廃は、なかんずくロウマ人が権力追及の争闘をしていた期間には、ギリシアにおけるよりもいっそう大であったように思われる。ウォレイスは、その『人口数論』において、当時剣によって倒れた夥しい人数に言及した後、曰く、『この時代のイタリア人の歴史を正確に調べてみると、吾々は、イタリアが完全に制服されてしまうまでに、かの不断の戦争に従事したあれほどの夥しい人間がいかにして調達され得たかを、いぶからざるを得ない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』と。またリヴイは、ヴォルスキ族やイークイ族が、あれほどしばしば征服されながら、新らしい軍隊を戦場にもたらし得たことを、非常に驚いている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。しかし、戦争による不断の人口減少が人口増加力をほとんど余す所なく発揮せしめる習慣を生み出し、そして境遇を同じくしない他の国家に通常見られるよりも遥かに大きな比例の出生と、健全な子供とが現れ、これが成人となり武器を執り得るようになるという、極めてあり得べき事実を仮定すれば、この不審はおそらく十分に説明し得るであろう。疑いもなく、彼らをして、古代のゲルマン民族の如くに、戦に敗れて半ば破滅した軍隊をかくも驚くべく恢復し、未来の歴史家を驚かし得せしめたものは、かかる急速な人口の供給であったのである。
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 1)[#「1)」は縦中横] Dissertation, p. 62. 8vo. 1763, Edinburgh.
 2)[#「2)」は縦中横] Lib. vi. c. xii.
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 しかも、殺児の慣行が、ギリシアにおけると同様に、最も早い時代からイタリアに広く行われていたと信すべき理由がある。ロムルスのある法律は、三歳末満の小児遺棄を禁止しているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、これは、生れてすぐ遺棄する習慣が以前には広く行われていたことを意味するものである。しかしこの慣行は、云うまでもなく、戦争による人口の減少が新たに生れて来る世代に対し、余地を作るに足らなかった場合の外は、決して行われなかったであろう。従ってそれは全幅の増加力に対する積極的妨げの一つと考えられ得ようが、しかし現実の事態においては、それは確かに、人口を阻止するよりはむしろ促進するにあずかって力あるものであった。
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 1)[#「1)」は縦中横] Dionysius Halicarn. lib. ii. 15.
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 ロウマ人自身の間においては、その共和国の当初から最後まで不断の戦争に従事しており、その多くは恐るべきほどに破壊的であったので、この原因による人口に対する積極的妨げは、それだけで驚くべきほど大なるものであったに相違ない。しかしこの原因だけでは、いかにそれが大であったにしろ、もし他にもっと有力な人口減少の原因が起らなかったならば、アウグスツス帝やトラヤヌス帝を促して、結婚と出産を奨励する法律を発布せしめるに至った如き、帝政治下のロウマ市民の不足を、生ぜしめることは決してなかったであろう。 
 従来ロウマの領内に普及していた財産の平等が次第に破壊され、土地が少数の大地主の手中に帰した時、この変化によって相次いでその生活資料を奪われた市民は、当然に、近代国家における如くに、その労働を富者に売る以外には、餓死を免れるべき方法がなかったであろう。しかし奴隷の数が莫大に上り、ロウマの奢侈の増大に伴い不断に流入してその数を増し、遂に農工業の一切の職業を占めてしまったので、市民は労働を売るという方法に出る路を全く遮断されていた。かかる事情の下においては、自由市民の数が減少したということは少しも驚くべきことではなく、むしろ大地主の外に自由市民が少しでも存在したことに驚嘆すべきであろう。そして事実上、多くのものは、奇妙な途方もない慣習、すなわち貧乏な町民に無償で多量の穀物を分配するという、この都市の奇妙な不自然な状態がおそらく要求したところの慣習がなかったならば、存在し得なかったであろう。アウグスツス時代に二十万人がこの分配を受けた。そしておそらく彼らの大部分は他に頼るべき物をほとんどもたなかったのである。それはあらゆる成年者に与えられたものと想像されるが、しかしその分量は一家族には足りず、一個人には多過ぎた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。従ってそれは彼らをして増加し得せしめることは出来なかった。そして貧民の間の小児遺棄の習慣についてプルタアクが述べている様子から見ると2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、三児法[#「三児法」に傍点]があるにもかかわらず、多くのものが殺されたと信すべき十分な理由がある。タキトスはゲルマン民族を論じながらロウマにおけるこの習慣に言及しているが、この章句は同一の結論に導くように思われる3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。慈善の外には生活資料を獲得する一切の方法を全く奪われてしまい、ために自分自身を養うことがほとんど出来ず、いわんや一人の妻と二、三人の子供を養うことは思いもよらぬ一群の人々の間に、かかる法律は実際いかなる効果を有つことが出来たであろうか。もし奴隷の半数が国外に送り出され、そしてこの人民が農業や製造業に用いられたならば、その結果として、出産を奨励するための一万の法律を作った場合よりも確実に急速に、ロウマの市民の数は増加したことであろう。
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 1)[#「1)」は縦中横] Hume Essay xi. p. 488.
 2)[#「2)」は縦中横] De Amore Prolis.
 3)[#「3)」は縦中横] De Moribus Germanorum, 19. 結婚と子供の出生を奨励する法律がいかに完全に蔑視されたかは Minucius Felix in Octavio, cap. 30. の次の演説でわかる。『諸君が生れた子供を鳥獣の餌食とし、またはこれを絞殺するのを見る。堕胎剤を用いて将来の人間を抹消し、産む前に殺してしまうものもある。』
 この罪はプリニでさえこれを次の如く弁解するほどに、ロウマで広く一般の習慣となった。『あらゆる婦人の多産はこの種の許可を必要とする。』Lib. xxix. c. iv.
 おそらく、この三児法[#「三児法」に傍点]及びこれと同一の傾向を有つ他の法律は、ロウマ市民の上流の間では、幾分役に立ったであろうし、そして実際、これらの法律の本質は主として特権から成っているというその性質上、主としてそれは社会のこの部分を目標としたものと思われる。しかし人口増加を予防するありとあらゆる悪習は1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、この時代に極めて広く行われていたから、いかなる矯正的法律も何ら著しい影響を与えることが出来なかった[#底本ではここに不要な「た」]ように思われる。モンテスキウは正しくも曰く、『風紀の頽廃は、この風紀の頽廃をなくするために設けられた監察官の職を、破壊してしまった。しかし風紀の頽廃が一般的となる時には、監察はもはや何らの力ももたないのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』と。結婚に関するアウグスツスの法律が通過してから三十四年の後、ロウマの騎士はその廃止を要求した。既婚者と独身者とを区別してみたら、後者の方の数が前者より遥かに多いことが分ったが、これはこの法律の無効を物語る有力な証拠である3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
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 1)[#「1)」は縦中横]『しかし黄金の寝台には姙婦に滅多に寝ない。不姙を惹き起し腹の中で人を殺す技術や薬品が大いに流行る。』Juvenal, Sat. vi. 593.
 2)[#「2)」は縦中横] Esprit des Loix, lib. xxiii. c. 21.
 3)[#「3)」は縦中横] Id. c. 21.
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 大抵の諸国においては、人口増加を予防する悪習は、結婚が少いことの結果であるよりはむしろ原因である。しかしロウマにおいては、道徳の堕落が、少くとも上流階級の間において、結婚を妨げた直接の原因であったように思われる。メテルス・ヌミディクスが監察官として行った演説を、憤りと嫌悪とを感ずることな
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