l口の傾向を、指示せずにはおかなかったのである。そして彼らは、現代の政治家や先覚者と同様に、社会の幸福と安寧とにかくも深遠な影響を与える問題の考察を看過しなかった。この困難を除去するために彼らの採った野蛮な便法を吾々がいかに正常に呪詛し得るとしても、吾々は、彼らがこれに気がつき、またこれを考察して除去しなければ、それだけで彼らの最良の計画に成る共和主義的平等と幸福の計画を破壊するに足るものであることに十分気がついたことに対し、その洞察力にある程度の名誉を認めざるを得ないのである。
 植民する力は必然的に制限されている。そして、ある期間が過ぎると、この目的に特に適した国にとっては、故国を去った市民が定着するに適した空地を見出すことは、不可能ではないとしても、極度に困難となるであろう。従って植民の外に他の方法を考えることが必要であったのである。
 殺児の慣行はおそらく、ギリシアにおいて最も早い時代から行われていたものであろう。それが存在することが見られたアメリカの諸地方においては、それは、頻々たる飢饉と不断の戦争に曝されている蒙昧放浪的な生活において多くの子供を育てることの極度に困難なるに発したものであることがわかる。吾々は容易に、ギリシア人の祖先、すなわち同国の原住民の間においても、それは同じ起原から起ったものと、考え得よう。そしてソロンが小児遺棄を許した時には、おそらく彼は単に、既に行われていた慣習に法律上の認可を与えただけのことなのであろう。
 彼は疑いもなくどの許可に二つの目的を有っていたのである。第一に、これは最も明白なことであるが、普遍的の貧困及び不満を惹き起す如き過剰の人口を防止すること。第二に、過大な家族の恐怖従ってまた結婚に対する主たる障害を除去して、もって領土が養い得る水準までに人口を維持すること、これである。この慣行の支那における結果から見ると、これは前者よりも後者の目的により[#「より」に傍点]多く役立つものと考えるべき理由がある。しかし、立法者がこのことを理解しないか、または当時の野蛮な風習が両親を誘って貧乏よりも殺児を選ばせたとしても、この慣行は右の両目的に極めてよく役立ち、そして、事態が許す限り完全にかつ不断に、食物とこれを消費する人口との間の必要な比例を維持するに役立つように、思われるのである。
 ギリシアの政治学者は、この比例と、人口の不足または過剰から必然的に生ずべき、一方においては劣弱、他の一方においては貧困、という害悪に注目することが、極めて重大事なることを力説し、その結果として、望ましき相対的比例を維持する各種の方法を提議している。
 プラトンは、法律に関するその著の中で考察している共和国において、自由市民と住居との数を、五千と四十に限定している。そして彼は、もし各家族の父がその息子の一人を自己の所有する地所の相続人に選び、また法律に従ってその娘を結婚させ、その他に息子があれば、子供のない市民に養子にやれば、この数は維持し得ると考えた。しかし子供の数が全体として多過ぎるか少な過ぎる場合には、治安官は特にこの点を考慮に入れ、五千人、四十戸という同一数が依然維持されるように考案すべきである。この目的を達するには多くの方法がある、と彼は考えた。増殖が急速に過ぎ、または緩慢に過ぎる時には、名誉不名誉の表章を適当に分ち、また年長者に事情に応じて増殖を防止しまたは促進するように勧告して、これを妨げたり奨励したりすることが出来よう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Plato de Legibus, lib. v.
[#ここで字下げ終わり]
 その『哲学的国家論1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]』において、彼はもっと詳しくこの問題を論じ、そして提議して曰く、男子の中で最も優秀な者が女子の中で最も優秀な者と結婚し、劣等な市民は劣等な女子と結婚し、そして前者の子供は育てるけれども後者の子供は育てないこととする。法定のある祭日に、婚約した青年男女は集合し、厳粛な儀式の下に結合する。しかし結婚の数は治安官によって決定されるべきである。すなわち戦争、疾病、その他の原因による人口の減少を考慮に入れ、彼らは、国家の資源及び需要に従って、多過ぎもせず少な過ぎもしないような市民の比例に出来るだけ近い数を、維持するであろう。かくの如くして最も優秀な市民から生れた子供は、市内の特別の場所に住みこの任務に充てられているある保姆の処へ連れて行かるべきである。しかし劣等な市民や、手足の不完全な者から生れた子供は、どこかわからない場所に埋めらるべきである。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] 〔Plato de Republica^, lib. v.〕
[#ここで字下げ終わり]
 次に彼は進んで、結婚適齢を考察し、そしてこれを決定して女子は二十歳、男子は三十歳であるとしている。女子は、二十歳から始めて四十歳になるまで、国家のために子供を産むべきであり、男子はこの点に関するその義務を、三十歳より五十歳に至るまで、果たすべきである。もし男子がこの期間の以前か以後かに子供を世に造るならば、その行為は、あたかも結婚式も挙げずに、もっぱらふしだらにそそのかされて、子供を産んだ場合と同一の犯罪的並びに涜神的行為として考察さるべきである。もし子供を産んでもよい年齢にある男子が、これも適齢の女子と結ばれたが、ただし保安官による結婚式を挙げないという場合には、これと同一の規則が適用される。すなわち彼は、国家に対し、私生の、涜神的な、血族相姦の子供を与えたものと考えらるべきである。[#「。」は底本では欠落]両性が国家に子供を提供すべき適齢を過ぎた時にも、プラトンは性交の大きな自由を認めているが、しかし子供を産んではならないとした。万一子供が生きて生れるような場合には、これは両親がそれを養い得ない場合と同様な方法で遺棄さるべきである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Plato de Repub. lib. v.
[#ここで字下げ終わり]
 これらの章句から見ると、プラトンが生活資料以上に増加せんとする人口の傾向を、十分に知っていたことは、明かである。それを妨げるための彼れの方法は、実際非難すべきものである。しかしこの方法それ自体とそれが用いらるべき範囲とは、彼がこの困難の重大性をいかによく知っていたかを、証示するものである。彼は確かに、小さな共和国においてこれを考えたに違いないが、戦争によって比較的多数の人が減少することを考慮しつつ、しかもなお彼が、すべての劣等な、より[#「より」に傍点]不完全な市民の子供を殺し、かつ指定年齢、指定形式によらずに生れたすべての子供を殺し、結婚年齢をおそくさせ、結局これらの結婚の数を調制しようと、提議し得たとすれば、彼れの経験と理性とは強力に、人口増加の原理の偉大な力とこれを妨げる必要とを、彼に指示したに違いないのである。
 アリストテレエスは、この必要を、更にいっそう明かに認めたように思われる。彼は結婚適齢を定めて、男子は三十七歳、女子は十八歳としているが、これは云うまでもなく、多数の女子をして独身生活を余儀なくさせるに違いない。けだし三十七歳の男子は決して十八歳の女子ほど多くはあり得ないからである。しかも、彼は男子の婚期をかくもおそく定めたけれども、彼はそれでも子供の数が多くなり過ぎるかもしれぬと考え、各結婚に許される子供の数を調制すべきことを提議し、もし女子が指定数を産んだ後に姙娠するならば胎児が生れないうちに堕胎を行うべきことを提議している。
 国家のために子供を産む期間は、男子にあっては五十四または五十五歳をもって終るべきであるが、けだし老齢者の子供は若過ぎる者の子供と同様に、身心共に不完全であるからである。両性が指定の年齢を過ぎた時にも、彼らは関係を続けることは許される。しかしプラトンの共和国におけると同様に、その結果たる子供は産んではならぬのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Aristotelis Opera de Repub. lib. vii. c. xvi.
[#ここで字下げ終わり]
 アリストテレエスは、プラトンが法律に関するその著において提議した共和国の長所を論じつつ、プラトンは人口問題に決して十分な注意を払っていないと云い、また、子供の数を制限することなくして財産を平等ならしめることの矛盾を、非難している。この問題に関する法律は、財産が平等化されている国家においては、他の国家におけるよりもはるかに明確かつ正確なることを要する、とアリストテレエスは云っているが、これは非常に正しい。通常の政府の下においては、人口の増加は単に土地所有をいっそう細分せしめるだけであろう。しかるにかかる共和国においては、土地が平等な、いわば基本的な部分にまで圧縮されているので、それ以上細分することが出来ないから、過剰なものは全く衣食に事欠くであろう1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] De Repub. lib. ii. c. vi. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 87. 原文参照の煩を好まぬ人々の便宜のために、私は同時にギリイズの飜訳を引用するが、しかし彼れの目的は自由訳であるため、ある章句は全然省略されており、またある章句に彼は文字通りの意味を与えていないところがある。
[#ここで字下げ終わり]
 次いで彼は、あらゆる場合において子供の比例を調制し、もってそれが適当な数を超過しないようにすることが、必要であると云う。このことをなすに当って、死亡と不姙とはもちろん考慮に入れられなければならない。しかし、一般の国家における如くに、各人が欲しいだけの子供を自由に持ち得るならば、その必然的結果は貧困でなければならず、そしてこの貧困は悪事と暴動の母である。この理由によって、最も古い政治学者の一人、コリントのフェイドンはプラトンのそれとは正反対の規定を採用し、そして財産を平等化せずして人口を制限したのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] De Repub. lib. ii. c. vii. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 87.
[#ここで字下げ終わり]
 最も健全な制度として市民の間に富を平等にすることを提議したカルケドンのファレアスについてその後の方で論ずる際に、彼は再びプラトンの財産に関する規定に言及し、かくの如くに財産の範囲を規定せんとする者は、同時に子供の数をも規定することが絶対に必要であることを無視してはならぬ、と云っている。けだし、もし子供が彼らを養う資料以上に増殖するならば、この法律は必然的に蹂躪され、諸家族は突如として富裕から乞食の状態に追い込まれるであろう――これは公共の安寧にとり常に危険なる革命である、と1)[#「1)」は縦中横、行右小書き、「1」が底本では「2」]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] De Repub. lib. ii. c. vii. Gillies's Aristot. vol. ii. b. ii. p. 91.
[#ここで字下げ終わり]
 これらの章句から見ると、アリストテレエスは明かに、人類の強大な増加傾向が、厳重なかつ積極的な法律によって妨げられない限り、財産の平等に基礎を置くあらゆる制度にとり、絶対に致命的であることを認めたことがわかる。そしてこの種のあらゆる制度に対する最も有力な反対論は、確かに、アリストテレエス自身が提議せる如き法律が必要だという事実である。
 彼がその後スパルタに関して述べている所から見ると、彼が人口原理を
前へ 次へ
全39ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
吉田 秀夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング