vは縦中横] Lettres Edif. et Curieuses, tom. xvi. p. 394 et seq.
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この記述の大部分はデュアルドの中で繰返されている。そして若干の誇張があるにしても、これは、支那において人口がいかなる程度に無理強いに増加させられているかということと、及びその結果たる困窮の状況とを、はっきりと示している。土壌が肥沃であり農業が奨励されているために当然に生じた人口は、真正にして望ましいものと考え得ようが、しかし結婚の奨励によって附加された全人口は、啻にそれ自身においてそれだけの純然たる窮乏の附加であるばかりでなく、更に他の人が享受し得べかりし幸福を全く奪ったものである。
支那の面積はフランスの面積の約八倍と見積られている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。フランスの人口がわずかに二千六百万としても、その八倍は二〇八、〇〇〇、〇〇〇となろう。そして上述の人口増加の三大原因を考慮すれば、支那とフランスとの人口密度比例が、三三三対二〇八、すなわち約三対二であるといっても、信じられぬこととは思われないであろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Embassy to China, Staunton, vol. ii. p. 546.
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人口増加の自然的傾向はどこにおいても極めて大であるから、あるいずれかの国の人口が到達している高度を説明することは一般に容易であろう。それよりももっと困難な、もっと興味ある研究点は、人口のそれ以上の増加を停止せしめている直接的原因を辿ることである。増殖力は、支那の人口を、アメリカ諸州の人口と同様に容易に、二十五年にして倍加するであろうが、しかし、土壌はかかる追加人口を明かに養い得ないから、かかることのあり得ないことがわかるのである。しからばこの強力な増殖力は支那ではどうなっているのであろうか。そして人口を生活資料の水準に抑止しておく抑制の種類や、幼死の形態は、いかなるものであろうか。
支那における異常な結婚に対する奨励にもかかわらず、吾々は、人口に対する予防的妨げが働いていないと想像するならば、おそらく誤謬に陥るであろう。デュアルドは、僧侶の数は遥かに百万を超え、そのうち北京には独身者が二千おり、そのほか勅許によって各地に建立された寺院に三十五万おり、また文人の独身者だけで約九万いる、と云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Duhalde's China, vol. i. p. 244.
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貧民は家族を養い得る見込みが少しでもあればおそらく常に結婚するであろうし、また殺児が許されているからこの点の大きな危険を喜んで冒すであろうが、しかし彼らは疑いもなく、その子供を全部遺棄し、または自分自身や家族を奴隷に売らざるを得ないことが確実であれば、結婚を躊躇するであろう。そして下層階級の人口の極貧により、右の確実性はしばしば実現するであろう。しかしデュアルドによれば、人口に対する予防的妨げが主として作用するのは、支那において窮乏の結果その数が莫大に上るところの奴隷自身の間のことである。人は時に、非常に安い価格で、その子供を、また自分自身や妻をさえも売る。普通の方法は、買戻条件付での身売りであり、かくて多数の下僕下婢が一家族に結合されることとなる。ヒュウムは、古代人の間における奴隷制の慣行を論ずるに当って、一般に、奴隷を子供から育てるよりも成人の奴隷を買った方が安いと云っているが、これはその通りである。この言葉は支那人に特に当てはまるように思われる。すべての著述家は、支那に不作が頻々と起ることを、一致して述べているが、かかる時期には、おそらく多数の奴隷がほんの生きるだけの代償で売られることであろう。従って一家の家長にとっては、その奴隷に出産を奨励するのは大抵不得策であろう。従って吾々は、支那ではヨオロッパと同様に、召使の大部分は独身である、と想像し得よう。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 278.『この帝国の窮乏と大人口とは、そこにこの莫大な奴隷を生ぜしめる。一家のほとんどすべての下男、及び概してすべての下女は、奴隷である。』Lettres Edif. tom. xix. p.145.
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罪悪的な性交から生ずる人口に対する妨げは、支那では非常に多くはないように思れれる。女子はおとなしくひかえ目で、姦通は滅多にないと云われている。しかしながら蓄妾は一般に行われており、大都市では公娼が登録されている。しかしその数は多くなく、サア・ジョオジ・スタウントンによれば、未婚者や家族から離れている夫の少数者に釣合っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Embassy to China, vol. ii. p. 157.
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疾病による人口に対する積極的妨げは、かなり著しいけれども、予想されるほどは大ではないように思われる。気候は一般に非常に健康的である。宣教師の一人は、疫病《ペスト》や伝染病は、一世紀に一度も起らぬとまで云っているが1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、しかし、他の人々はそれは決してそれほど稀ではないように云っているから、これは疑いもなく誤りである。一般に一定の墳墓をもたない貧民の埋葬に関する宦官へのある訓令には、伝染病が流行する時には、遠距離まで空気が感染されるほど道路が屍体で蔽われる、と述べられている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。そして伝染病の年に関する説明が3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]、そのすぐ後に出ているが、これはいわばそれが稀でないことを意味するように思われる。毎月一日と十五日とに宦官は集合し、その人民に長い講話をするが、その際各知事は家族の者に訓示する家父の役割をする4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。デュアルドが示しているかかる講話の一つには次の如き章句がある、『伝染病が穀物の不作と相俟って到る処を荒廃させる年が時々発生するが、かかる年に気をつけなければならぬ。かかる際における君らの義務は、君らの同胞に憐愍の情をもち、そして手離し得るものは何でも手離して彼らを援助するにある5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。』
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1)[#「1)」は縦中横] Lettres Edif. tom. xxii. p. 187.
2)[#「2)」は縦中横] Id. tom. xix. p. 126.
3)[#「3)」は縦中横] Id. p. 127.
4)[#「4)」は縦中横] Duhalde's China, vol. i. p. 254.
5)[#「5)」は縦中横] Id. p. 256.
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通常そうであるように、おそらく伝染病は子供の上に最も激しく落ちかかるであろう。ジェスイット僧の一人は、親が貧しいために生れると同時に殺される嬰児の数を論じて、曰く、『北京の諸々の教会堂で、この種の子供で洗礼をうけるものの数が、五、六千を算せぬ年は、滅多にない。この数は、吾々の維持し得る牧師の数によって多くもなれば少くもなる。もし吾々が十分の数を有っていれば、彼らの仕事は、遺棄されて死に瀕している嬰児の世話にのみ限られる必要はない。彼らにとってその熱意を発揮すべき機会は他にもあろうし、なかんずく天然痘や伝染病が信じられぬほどの数の子供を奪い去る時期において然りである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』実際、下層階級の人々の極端な窮乏によって、その両親があらゆる困難をおかして育てようと企てる子供の大部分を殺してしまう傾向のある疾病が生み出されぬと想像することは、ほとんど不可能である。
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1)[#「1)」は縦中横] Lettres Edif. tom. xix. p. 100.
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実際に遺棄される子供の数に関しては、ほんの推測をしてみることすら困難である。しかしもし支那人の著述者自身を信頼するならば、この慣行はごく一般的であるに違いない。政府は、たびたびこれを止めようと企てたが、しかし常に失敗に終った。人道と叡智とをもって聞えたある宦官の著わした前記の教訓書では、自己の管区に捨児養育院を設置することが提議されており、また今日では廃止されている同種の昔の施設1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]のことが述べてある。この書物には、頻々たる小児遺棄と、それを促す恐るべき貧困とが詳しく述べてある。彼は曰く、『吾々は、彼ら自身の子供に必要な養分を与え得ないほど貧しい人民を見る。かくも多数を彼らが遺棄するのはこの故なのである。帝都や省の首府や最も商業殷賑な箇所においてその数は最も著しいが、しかしそれほど人の繁くない地方や田舎においてすら、多くの遺棄が見られる。都市では家屋が密集しているので、この慣行はいっそう目につくが、しかし到るところでかかる憐れな不幸な子供は救助を必要としているのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。』
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1)[#「1)」は縦中横] Ibid. p. 110.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 111.
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同書には、小児の溺殺を禁止する勅令の一部が次の如く載っている、『生れたばかりのいたいけな嬰児が無慈悲にも波に投ぜられる時、生の享受がはじまるや否や直ちにそれが失われる時、母は生を与え、子は生を受けたと云い得ようか。両親の貧困がこの罪の原因である。彼らは自らを養うに足るものすらほとんど持たず、いわんや子守に支払いかつ子供の養育に必要な費用をととのえることはいっそう出来ない。かくて彼らは絶望に陥る。一人を生かさんがために二人が苦しむに耐えずして、夫の生命を保たんがために、母はその子供を犠牲とするに同意する。しかしながら親たるの感情にとり極めてつらいものであるが、しかし終には意を決し、そして彼ら自身の生命を延ばすためにその子供の生命を断つのは止むを得ないと考えるのである。もし彼らがその子供を秘密の場所に遺棄するならば、嬰児の泣声は彼らの憐愍の情をかき立てるであろう。そこで彼らはどうするか。彼らはこれを川の流れに投じ、もって直ちにその姿が見えなくなり、またそれが即座に一切の生命の機会を失うようにするのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
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1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 124.
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かかる記述は、殺児の一般的流行に関する最も信憑すべき文献であるように思われる。
サア・ジョウジ・スタウントンは、彼が集め得た最良の情報からして、北京において年々遺棄される子供の数は約二千であると云っている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの数は年によって甚だしく変動し、そして季節の豊凶に依存すること極めて大であるに違いなかろう。ある大きな伝染病や破壊的な飢饉の後には、その数はおそらく極めて小であろう。稠密な人口に戻れば、それが徐々として増加すべきことは当然である。そして平均生産物が既に過剰人口を養うに足りないという時期に不作が生じた時にそれは疑いもなく最大である。
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1)[#「1)」は縦中横] Embassy to China, vol. ii. p. 159.
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かかる不作は稀ではないようであり、そしてそれに伴う飢饉が、おそらく、支那人口に対する一切の積極的妨げの中で最も有力なものである。もっともある時代においては、戦争及び内乱による積極的妨げは小さなものではなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。支那王国の年代記には、飢饉のことがしばし
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