かなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. iv. p. 353.
[#ここで字下げ終わり]
『ティアワとベイラの間には水が少しもない。かつてはインデディデマ及び多くの村は、井戸から水を得、その所有地の近くに玉蜀黍《とうもろこし》を播いて多くの収穫を得ていた。しかしこの地方の呪詛たるダヴェイナ・アラビア人は、インデディデマ及びその附近のすべての村を破壊してしまい、その井戸を埋の、その穀物を焼き払い、そして全住民を餓死するに委ねたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. iv. p. 411.
[#ここで字下げ終わり]
 彼は曰く、センナアルを出てまもなく、『吾々は雨量不足の結果を見はじめた。穀物はわずかしか播かれていず、それも非常に時期おくれでほとんど地上に芽を出していなかった。雨が北方を通過する時は雨期はおそく始まるように思われる。多くの人がここで、非常に悪質のパンを作るために、草の実を集めていた。これらの人民は完全な骸骨のような姿であったが、これはこんな食物を食っているのであるから無理もないことである。通過する国の食物の欠乏ほど、旅行の危険と異国人に対する偏見を増大するものはない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. iv. p. 511.
[#ここで字下げ終わり]
『エルティックという、ナイル河から半|哩《マイル》ばかり離れ、大きな茫々たる平原の北方にある、人家のまばらな村に来た。樹木に覆われている川岸を除けば、すべて牧場である。吾々はもはや穀物の蒔いてあるのを見なかった。住民はここでも、吾々が前に述べたあわれな仕事に、草の実集めに、従事していた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. p. 511.
[#ここで字下げ終わり]
 かくの如き気候及び政治的情勢の下においては、より[#「より」に傍点]高い程度の先見、勤労、及び安固があれば大いに彼らの境遇は改善され彼らの人口は増加されるであろうけれども、かくの如き随伴物なくしてより[#「より」に傍点]多数の子供の出生を見るというのであるならば、それは単に彼らの窮乏を加重するだけであり、人口は依然旧のままに止まるであろう。
 同じことは、かつて繁栄し人口の稠密であったエジプトについても云い得よう。その衰えた現情は、人口増加の原理が弱くなったから生じたのではなく、最も暴威的圧制的な政治の結果たる財産の不安固により、勤労と先見の原理が弱くなったから生じたものである。現在のエジプトにおける人口増加の原理は、それが為し得るだけのことをしている。それは人口を生活資料の水準一杯に保っている。そして仮にその力が現在の実際の力の十倍であるとしても、これはより[#「より」に傍点]以上のことはなし得ないであろう。
 旱魃の年には給水用の貯水池の働きをし、多雨の年には洪水を防ぐための排水溝となり放水路の働きをするところの、大きな湖水や、運河や、ナイル河を統制する目的を有つ大きな水路の如き、古代の工事の遺跡は、昔エジプトの住民が、勤労により、彼らの河川の氾濫によって、今より遥かに多大の土地を肥やそうと努めたこと、また現在、氾濫の過不足によってかくも頻々と起っている困窮を、ある程度防止しようと努めたことを、吾々に十分に示している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。総督ペトロニウスは、自然の拒否したことを技術によって行って、従来常に不作を伴った如き氾濫不足という不利益の下においてすら、エジプトの到る処に豊作をもたらした、と云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。洪水が大き過ぎるのは不足な揚合と同様に農民にとって致命的である。その結果として古代の人は、過剰の水をリビアの乾燥した砂地に氾濫させる排水路を作り、かくて沙漠をも人の住み得るところとした。これらの事業は今はすべて修理が行われておらず、そして監理の不良のためにしばしば善果よりも惨害を生み出している。この怠慢、従ってまた生活資料の減少の原因は、明かに政府の極度の無智と残忍と、及び人民の悲惨な状態にあるのである。主たる権力を握るマメリウクは、自ら富むことだけを考え、この目的のために最も簡単な方法と思われるもの、すなわち見つかり次第に富を奪い取り、暴力でそれを所有者から強奪し、そして絶えず新らしい勝手な貢納を課するという方法を、とっている3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。彼らの無智と残忍、及び彼らの生活の不断の脅威は、彼らに、その掠奪をもっとうまくやるには国を富ますことが先だという観念すら起さしめない。従っていかなる公共事業も政府に期待することが出来ず、そしていかなる個人資産家も、資本所有を意味する如き改良はあえてこれを行おうとはしないが、けだしこれはおそらく直ちに身の破滅の徴標となるであろうからである。かかる事情の下にあっては、吾々は、古代の事業がなおざりにされ、土壌がよく耕作されておらず、そして生活資料従ってまた人口が大いに減少しているのを見ても、少しも驚く気になれないのである。しかしナイルの氾濫によるデルタの自然的肥沃度は著しく高く、従って何らの資本が土地に投下されず、相続権がなく、従ってほとんど財産権がなくとも、それは、なお、その面積に比例して大きな人口を維持しているのであって、これは、もし財産が安固であり勤労がよく指導されるならば、徐々としてこの国の耕作を改良し拡張し、そしてそれを昔の栄華状態に戻すに足るものである。エジプトについて、その勤労を妨げたのが人口の不足であるわけではなく、その人口を妨げたのが勤労の不足である、と安んじて云い得るであろう。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. iii. c. xvii. p. 710.
 2)[#「2)」は縦中横] Voyage de Volney, tom. i. c. iii. p. 33. 8vo.
 3)[#「3)」は縦中横] Id. tom. i. c. xii. p. 170.[#「.」は底本では欠落]
[#ここで字下げ終わり]
 現在の縮小した生活資料の水準に人口を引き下げた直接の(訳註)原因は、余りにも明かである。農民は単に生きて行くだけの生活資料しか与えられない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。ドウラで作ったパン種も香料も使わない貧弱なパン、冷水、及び生ねぎが、彼らの食事の全部である。彼らの熱愛する肉や脂肪は、大きな催しの時か、または比較的暮しが楽のものの間でなければ、決して出て来ない。彼らの住居は土で造られた小屋であり、他国人なら熱と煙で窒息するであろうし、また不潔と栄養不良により発生する疾病がしばしば彼らをおそい、暴威を振うのである。かかる物理的害悪に加うるに、更に不断の危惧の状態、アラビア人の掠奪とマメリウクの来訪の恐怖、家族に伝わる復讐心、及び不断の内乱の一切の害悪があるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Volney, tom. i. c. xii. p. 172.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 173. ヴオルネエが試みているエジプトの農民の状態に関する右の描写は、この問題に関する他のすべての著者によってほとんど確証されるようである。殊に次の貴重な論文において、〔Conside'rations ge'ne'rales sur l'Agriculture de l'Egypte, par L. Reynier. (Me'moires sur l'Egypte, tom. iv. p. 1.)〕
〔訳註〕『直接の』の語が加ったのは第三版からである。
[#ここで字下げ終わり]
 一七八三年には疫病《ペスト》が非常に蔓延した。また一七八四年及び一七八五年には、ナイルの氾濫の不足によって恐るべき飢饉がエジプトを蔽った。ヴォルネエはこの時に生じた窮情の驚くべき描写をしている。初めは乞食で一杯であったカイロの街からはまもなく彼らの姿が全然なくなったが、それは死ぬか逃げるかしたのである。莫大な数の不幸な貧民は、死を免れるために、あらゆる隣国に散ってしまい、そしてシリアの町々はエジプト人で溢れた。街路や広場は、飢えて死にかけた骸骨のような人に充ち満ちた。迫る飢えを満たすべきあらゆる忌わしい手段が採られた。最も胸の悪くなるような食物も貪り食われた。そしてヴォルネエは、昔のアレキサンドリアの城壁の下で、駱駝の屍体の上に二人のみすぼらしい貧民が坐っていて、犬と腐肉を争っているのを見た、と述べている。この二年間の人口減少は全住民の六分の一と見積られた1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Voy. de Volney, tom. i. c. xii. s. ii.
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

    第九章 南北シベリアにおける人口に対する妨げについて

 アジアの最北地方の住民は、主として狩猟と漁撈とによって暮している。従って吾々は、彼らの増加に対する妨げは、アメリカ・インディアンの間におけるものと同一性質であり、ただアメリカの温暖な地方におけるよりも戦争による妨げが非常に少なく、そして飢饉による妨げがおそらくより[#「より」に傍点]大であるという点だけが異なる、と考え得よう。不幸なペルウズの書類を持ってカムチャッカからペテルスブルグまで旅をしたドゥ・レセップ氏は、世界のこの地方が時に食物の不足から蒙る窮乏の陰惨な光景を書いている。カムチャッカのボルチェレックという村に滞在中に、彼は曰く、『ひどい大雨は洪水を起し、川から魚を逐いはらってしまうから、この地方では有害である。貧しいカムチャッカ人に最もつらい飢饉はその結果であり、これは昨年は半島の西海岸にあるあらゆる村に生じた。この恐るべき災害はこの地方に極めて頻々と起るので、住民はその住居を棄て、魚のもっと豊富なカムチャッカ河の流域にその家族と共に移住するを余儀なくされる。カスロフ氏(ドゥ・レセップ氏を案内したロシア士官)は西海岸に沿って進もうと思っていたが、この飢饉の報を受けたので、その希望に反して、中途で立往生の止むなきに至ったり餓死したりするよりは、むしろ引返そうと決心した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』違った道をとってみたが、その途中で、橇を引く犬のほとんどすべてが食物の不足で死んでしまった。そしてどの犬も、倒れるや否や、直ちに他の犬に貪り食われてしまった2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Travels in Kamtschatka, vol. i. p. 147. 8vo. Eng. trans. 1790.
 2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 264.
[#ここで字下げ終わり]
 かなりの商業の行われているオコオツクの町でさえ、その住民は、オコオタ河が春に解氷するのを空腹をかかえてじりじりしながら待っている。ドゥ・レセップ氏がそこにいた時に、乾魚の貯蔵はほとんど尽きかけていた。碾割麦《ひきわりむぎ》は非常に高価なので、一般人には買えなかった。河水を干して莫大な数の小魚が捕れたが、その喜びと騒ぎはこれを見て倍加した。最も飢えた者がまず救われた。ドゥ・レセップ氏は痛嘆して曰く、『私はこのあわれな人々のがつがつした有様を見て、涙を禁じ得なかった。………全種族が魚を奪い合い、私の眼の前で生のままそれを貪り食った1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』
[#ここから2字下げ]
 1)[#「1)」は縦中横] Travels in Kamtschatk
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