ことがないのは、むしろ奇妙な事情である。人々は必ずしも毎日餓死している訳ではない。しからば人口はいかにして生活資料の標準に規正されているのであるか。
3)[#「3)」は縦中横]『また毎日事件や家畜の掠奪が行われ、そしてこの掠奪戦はアラビア人が力を入れる仕事の一つである。』Voy. de Volney, tom. i. c. xxiii. p. 364.
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より[#「より」に傍点]肥沃な土地に住むために、家畜により[#「より」に傍点]富んでいる韃靼人の間では、掠奪的侵入により獲られる獲物はアラビア人の場合よりも大である。そして諸種族の力が優れているので、その争闘はいっそう流血的であり、また奴隷にする習慣が一般的であるから、戦争で失われる人口はより[#「より」に傍点]多いであろう。この二つの事情は相俟って、幸運なある掠奪集団をして、彼らよりも敢為の精神に劣る隣人に比較して豊かな状態に生活し得せしめている。パラス教授は、ロシアに従属している二つの放浪種族のことを特別に述べているが、その一方はほとんど全く掠奪によって生活しており、また他方はその隣人の不穏な行動が許す程度で平和に暮している。これらの異った習慣から生ずる人口に対する異る妨げを辿ってみるのは、興味あることであろう。
パラスによれば1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、キルギス族はロシアに属する他の放浪種族に比較して安楽に暮している。彼らの間に広く行われている自由と独立の精神は、生活を維持するに足る畜群を容易に獲得し得るという事情と相俟って、彼らの何人もが、他人に使われるのを妨げている。彼らはすべて兄弟として待遇されることを期待しており、従って富者は奴隷を使用せざるを得ない。そこで、貧しくなるまで下層社会の人間が増加するのを妨げる原因は何であるか、という疑問が発せられ得よう。
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1)[#「1)」は縦中横] 蒙古諸民族の歴史に関するパラスの著作を手に入れることが出来なかったので、私は、ここでは、ロシアの諸旅行家の著作の一般的抜萃を利用した。これは 〔De'couvertes Russes (tom. iii. p. 399.)〕 なる題名で、ベルンとロオザンヌで、一七八一年及び一七八四年に、四巻で刊行された。
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パラスは、女子に関する悪習または家族に対する恐怖から来る結婚の抑制が、どの程度までかかる結果を齎す上に寄与しているかを、吾々に告げない。しかしおそらく、彼らの民事制度及び放縦な掠奪精神について彼が与えている記述がそれだけで、ほとんどこれを説明するに足るであろう。チャンは、人民によって選ばれた有力者の会議を通してでなければ、その権能を行使し得ない。そしてかくして確認された法令ですら、絶えず侵害されしかも少しも処罰されない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。キルギス族が、その隣人たるカザルパック族、ブカリア族、ペルシア人、トルチェメン族、カルマック族、及びロシア人に対して行う、人間や家畜や商品の掠奪と分捕は、彼らの法律により禁止されているけれども、しかも何人もこれを行ったのを自白するのを恐れる者はない。反対に彼らは、この種の成功をもって、最も名誉ある事業なりとして誇るのである。時に彼らは財宝を求めて単独で国境を越え、時には有能な酋長の指揮下に隊をなして集り、全隊商を掠奪する。多数のキルギス人は、この掠奪を行うに当って、殺されるかまたは奴隷として捕われるが、しかしこれについては民族そのものはほとんど何も困らない。私的冒険者が、かかる掠奪を行う場合には、家畜であろうと女子であろうと、各人は自己の得たものをその手許に止める。男子の奴隷と商品は富者または外国商人に売渡される2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv. Russ. tom. iii. p. 389.〕
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 396, 397, 398.
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この種族の擾乱的な性向から極めて瀕々《ひんぴん》と起る1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]民族的戦争に加うるに、右の様な習慣があるのであるから、吾々は、暴力的原因による人口に対する妨げが、ほとんど、一切の他の原因を排除してしまうほどに強力なのであろうということを、容易に理解し得よう。彼らが荒廃的戦争を行い2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、苦難の掠奪侵入を行っている時に、また久しい旱魃や家畜の死亡によって、随時的の飢饉が時々彼らを襲うこともあろう。しかし普通の事態では、貧困が迫って来るので、新たな掠奪遠征が起ることになるのであろう。そして貧しいキルギス族は、自己を養うに足るだけのものを得て帰るか、またはその企図中にその生命または自由を失うかであろう。富者たらんかまたは死と決心をきめ、しかも手段を選ばない者は、貧乏人として永くは生きうることを得ないものである。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv. Russ. tom. iii. p. 378.〕
2)[#「2)」は縦中横]『この群衆はその途上にあるあらゆるものを蹂躪し、自ら消費しないあらゆる家畜を持ち帰り、虐殺しない老若男女を奴隷とする。』Id. p. 390.
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一七七一年の移住以前には、ロシアの保護の下にヴォルガの肥沃なステップに住んでいたカルマック族は、大体においてこれと異った生活様式をしていた。彼らはたびたびは残虐な戦争をしなかった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。そしてチャンの力は絶対であり2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]、民政はキルギス人よりもよく行われていたので、私的冒険者の掠奪遠征は阻止されていた。カルマック族の女子は極めて多産的である。結婚して子供のないことは滅多になく、一般に小屋の周りごとに三、四人の子供の遊んでいるのが見られた。このことから(とパラスは云う)彼らがヴォルガのステップに平穏に暮していた百五十年間に、大いに増殖したに相違ない、と当然結論し得よう。実際は彼らが期待したほどに増加しなかったということに対し彼が与えている理由は、落馬による多くの事故、彼らの種々の王侯やまたは彼らの種々なる隣人との間の頻々たる小争闘、殊に飢餓や窮乏による貧民階級の多数の死亡、及び子供が最もその犠牲となるあらゆる種類の災厄である3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv. Russ. tom. iii. p. 221.〕 この種族はここではトルゴット族の名で記されているが、これは彼らに適当な名称である。ロシア人は彼らを呼ぶにもっと一般的なカルマック族という名をもってした。
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 327.
3)[#「3)」は縦中横] Id. p. 319, 320, 321.
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この種族がロシアの保護の下に投じて来た時は、彼らはスウンガアル族から分れて来たのであり、その数は決して多くはなかったように思われる。ところがヴォルガの肥沃なステップを占有し、より[#「より」に傍点]平穏な生活をするに至って、その数はまもなく増加し、一六六二年には五万家族に達した1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。この時期から一七七一年の移住の時まで、その増加は極めて遅々たるものであったようである。彼らが占有した牧場の面積はおそらく、遥かにより[#「より」に傍点]大なる人口を包容するに足りなかったのであろう。けだしこの地方から彼らが逃れた時に、ロシアの行動に対するチャンの不満だけがその原因なのではなく、彼らの夥だしい家畜にとって牧場が不足だという人民の不満もその原因となっているからである。この当時この種族は、五万五千ないし六万家族であった。この種族がこの奇異な移住において蒙った運命は、おそらく、牧場の不足その他の不満により新しい住所を求めようと企てた他の多くの放浪集団の運命と同じものであった。移住は冬期に行われ、そして多くの者は、この辛い旅行の途上、寒さと飢餓と窮乏とで死んでしまった。一大部分はキルギス人によって殺されるか捕えられ、そしてその目的地に着いた者は、最初のうちは支那人に歓待されたが、後に至って極度の虐待を受けたのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv.〕 Russ. tom. iii. p. 221. Tooke's View of the Russian Empire, vol. ii. b. ii. p. 30. 急速な増加のもう一つの例は、ロシアから肥沃な定住地を与えられたクリスト教カルマック族の一植民地に現れている。それは一七五四年の八、六九五から一七七一年には一四、〇〇〇に増加していた。(Tooke's View of the Russ. Emp. vol. ii. b. ii. p. 32, 33.
2)[#「2)」は縦中横] Tooke's View of the Russ. Emp. vol. ii. b. ii. p. 29, 30, 31. 〔De'couv.〕 Russ. tom. iii. p. 221.
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この移住以前には、カルマック族の下層階級は非常な貧困と惨苦の中に生活し、栄養を採れるものならどんな動物でも植物でもまたは根でも利用するを常とさせられていたのであった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らは、実に盗んで来たもの以外は、壮健な家畜のどんなものでもほとんど滅多に殺すことはなかった。そして盗んで来たものは、見つかることを恐れて、直ちに飽食してしまった。傷馬や廃馬、または伝染病以外の疾病で死んだ獣類は、最も望ましい食物と考えられた。最も貧しいカルマック族のあるものは、腐敗を極めた肉を喜んで食い、また家畜の糞すらも食った2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。多数の子供は云うまでもなく栄養不良で死亡した3)[#「3)」は縦中横、行右小書き]。冬期には下層階級のすべては寒さと飢餓とに烈しく悩んだ4)[#「4)」は縦中横、行右小書き]。一般的に云って、彼らの羊の三分の一、またはしばしばそれ以上が、冬期に、どれだけ彼らが世話しても死亡した。そして時期おそく雨または雪の後に霜が来て、家畜が草を得られない場合には、彼らの畜群の死亡は一般的となり、そして貧民階級は避くべからざる飢饉に曝されたのである5)[#「5)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv. Russ. tom. iii. p. 275, 276.〕
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 272, 273, 274.
3)[#「3)」は縦中横] Id. p. 324.
4)[#「4)」は縦中横] Id. p. 310.
5)[#「5)」は縦中横] Id. p. 270.
[#ここで字下げ終わり]
彼らの腐敗した食物と、彼らを取り巻く腐敗した蒸気から主として生ずる悪性熱病、及び疫病《ペスト》の如くに恐れられる天然痘は、時に彼らの人口を稀薄にした1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかし大体において、彼らの人口は、その生活資料の限界を著しく緊密に圧迫したのであり、従って欠乏とその欠乏から生ずる疾病とが、彼らの増加に対する主たる妨げと考えられ得よう。
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1)[#「1)」は縦中横] 〔De'couv. Russ. tom. iii. p. 311, 312, 313.〕
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夏期に韃靼を旅行する人は、おそらく、広大なステップが無人のままにあり、そしてそれを消費する家畜がいないので牧草が蓬々《ほうほう》と荒れるに
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