スはむしろ民族の箱(〔Vagina^ nationum〕)から出て来た。』Jornandes de Rebus Geticis, p. 83.
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これより小さな妨げは疑いもなく共在したことであろう。しかし吾々は、ヨオロッパの北方の牧畜民の間では、戦争と飢饉とが、その人口を彼らの貧弱な生活資料の水準に抑止した主たる妨げである、と云って、間違いがないであろう。
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第七章 近代牧畜民族における人口に対する妨げについて
アジアの牧畜種族は、一定の住居を有たずに天幕と持ち運びの出来る小屋に住んでいるので、ヨオロッパの北方の牧畜民よりもいっそう土地との関係がうすい。生粋の韃靼人の故郷は野営であって土壌ではない。ある地域の牧草が尽きると、この種族は規則的に新らしい放牧地へと進んで行く。夏には北に進み、冬にはまたも南へ戻って来る。かくて彼らは最も平和な時に、戦争の最も困難な作業の一つに関する実際的な周知の知識を獲得する。かかる習慣は、これら放浪種族の間に移住及び征服の精神を普及せしめる強い傾向をもつであろう。掠奪の渇望、有力に過ぎる近隣者に対する恐怖、または放牧地の少いという不便は、あらゆる時代において、スキチアの諸集団を駆って、大胆にも、より[#「より」に傍点]豊富な生活資料またはより[#「より」に傍点]弱い敵を見出す希望を有ち得べき未知の国へと、進出せしめるに足る原因であった1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Gibbon, vol. iv. c. xxvi. p. 348.
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スキチアの牧畜民は、そのあらゆる侵入において、しかしなかんずく南方の文明諸帝国に侵入する際には、常に最も凶暴な破壊的な精神を発揮した。蒙古人が支那の北部諸州を征服した時に、冷静慎重な会議を開いて、この人口稠密な国の住民を全部絶滅し、空いた土地を家畜の牧場に変えようという提議が行われた。この恐るべき計画の実行は、支那宦官の智能と決心とによって防止された1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。しかしこの計画だけでも、征服者の権利の非人道的な濫用法と、牧畜民における強い習慣の力、従ってまた牧畜状態から農業状態への推移の困難を、はっきりと示すものである。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. vi. c. xxxiv. p. 54.
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アジアにおける移住と征服の潮流、ある種族の急速な増加、及び他の種族の絶滅を、ほんの概略でも見てみると、このことははっきりわかる。フン族の恐るべき侵寇、蒙古人及び韃靼人の広汎な侵入、アッチラ、ジンギスカン、タンメルランの血腥い征服、及び彼らの帝国の建設と崩壊に伴った恐るべき動乱の時代を通じて、人口に対する妨げが何であったかはただ余りにも明かである。ほんのちょっとした気まぐれまたは便宜の上の動機がしばしば全人民を無差別の虐殺に投じたところの1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]、当時の人類の蹂躪の歴史を読むと、吾々は、それ以上の人口の増加を妨げた原因を尋ねる代りに、相次ぐ征服者の各々に殺戮されるべき新らしい人間を供給し得た人口増加の原理の強力なるに、ただ驚き得るのみである。そこで吾々の研究は、これを韃靼民族の現状に向け、かかる凶暴な争乱の影響下にない場合におけるその増加に対する通常の妨げに向けた方が、より[#「より」に傍点]効果的であろう。
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1)[#「1)」は縦中横] Id. vol. vi. c. xxxiv. p. 55.
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その先祖とほとんど同一の風習を保持している蒙古人の子孫が現在住んでいる広大な地域は、その中にアジアの中部地方のほとんど全部を占め、そして極めて良好温和な気候の利益を有っている。土壌は一般に大きな自然的肥沃度を有っている。本当の沙漠は比較的に云ってほとんどない。時にはプレインと称せられ、ロシア人はステップと呼ぶ、灌木のない茫漠たる草原は、豊富な牧草に蔽われ、多数の家畜や家禽の牧場に非常に適している。この広汎な土地の主たる欠点は水のないことである。しかし水のある地方ならば、適当に耕作されれば、現在の住民数の四倍を養うに足りると云われている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。あらゆるオルダすなわち種族は、夏牧場と冬牧場をもつそれぞれ一州を有っている。そしてこの広大な領域の人口は、それがどれだけであるにしろ、おそらく、各地方の実際の肥沃度にほとんど比例して、分布しているのである。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. of Tartars, vol. ii. sec. i. 8vo. 1730.
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ヴォルネエは、シリアのベドウィーン族を論ずるに当って、かかる必然的分布を次の如く正しく説明している。『不毛の州、換言すれば植物の少い州では、種族は、スエズの沙漠、紅海の沙漠、及び大沙漠地方の奥地の如くに、弱体であり非常に離れている。ダマスカスとユウフラテス河との間の如くに、土地に生物がもっと生えている場合には、種族はもっと強くまた相互の距離も近い。アレッポのパチャリック、ハウラン、及びガザ地方の如き、耕作可能の州では、聚落《しゅうらく》は多くかつ互に接近している1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。』かくの如く、その実際の勤労と習慣との状態において獲得し得る食物の分量に従って人口が分布するということは、シリアやアラビアと同じく大韃靼にも適用し得るし、文明諸国民の商業がこれをより[#「より」に傍点]低級な社会段階ほど目立つことを妨げるとはいえ、事実上地球全体に等しく適用することが出来るのである。
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1)[#「1)」は縦中横] Voy. de Volney, tom. i. ch. xxii. p. 351. 8vo. 1787.
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大韃靼の西部地方に住む囘教韃靼人は、その土地の若干を耕作するが、しかしそれは極めて粗放で不十分であって、到底生活資料の主源泉をこれに仰ぐには足りない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。野蛮人の怠惰な好戦的な気質は、到る処に拡がっており、彼らは掠奪によって得る望のあるものを労働によって得ようという気には容易にならない。韃靼の年代記に目立った戦争や叛乱が何もない時には、その国内の平和と勤労とが、掠奪を目的とする小競合や相互の侵入で絶えず妨げられているのである。囘教韃靼人は、平時にも戦時にも、ほとんど全くその隣人を掠奪しこれを餌食にすることによって、暮していると云われている2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 382.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 390.
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チォワラスム王国を支配者として所有するウズベック族は、その貢納者たるサルト族及びトルコマン族に、その国の最良の牧場を委せているが、それは単に、その方面の近隣種族が貧しくかつ油断がないので、掠奪が成功する望みがないからであるだけのことである。掠奪は彼らの主たる資源である。彼らは絶えず、ペルシア人、及び大ブカリアのウズベック族の領土に、侵略を行っている。そして彼らが奪った奴隷やその他の貴重品がその富の全部をなしているのであるから、平和も休戦も彼らを抑制することは出来ない。ウズベック族とその被支配者たるトルコマン族とは絶えず争っている。そして統治家族の諸王族がしばしば醸成する彼らの嫉妬は、この国を不断の内乱状態に置いている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。トルコマン族は常に、クルド族及びアラビア族と闘っているが、後者はしばしばやって来て、彼らの家畜の角を折り、また彼らの妻や娘を奪い去るのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 430, 431.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 426.
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大ブカリアのウズベック族はすべての囘教韃靼人の中で最も開けていると考えられているが、それでも彼らの掠奪心は他のものに大して劣るものではない1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。彼らは常にペルシア人と戦っており、そしてチョラサン州の美しい平原を荒蕪《こうぶ》としておく。彼らの所有する地方は最大の自然的肥沃度を有ち、そして古代の住民の子孫のあるものは商業や農業という平和な技術を営んでいるけれども、土壌の好適なことも、また彼らの前にある実例も、彼らを誘ってその古来の習慣を変更せしめることは出来ない。そして自然が惜し気もなく提供している富源の開発に自ら従うよりも、むしろ隣人に掠奪と盗みと殺戮とを行うことを好んでいるのである2)[#「2)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 459.
2)[#「2)」は縦中横] Id. p. 455.
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トルキスタンにおけるカサチア・オルダの韃靼人は、北方及び東方の隣人と不断の戦争状態で暮している。冬には彼らはカルマック族に向って侵寇するが、このカルマック族はその頃には大ブカリアの辺境地方及びその国の南部地方の掃討に出掛ける。他方において、韃靼人は絶えずヤイクのコサック族及びノガイ韃靼人を悩ましている。夏には彼らはイーグル山脈を超えてシベリアに侵入する。そして彼らはしばしばこれらの侵略では運が悪く、その掠奪物の全部は彼らが極めてわずかの労働で彼らの土地から手に入れることが出来るものにも及ばないけれども、しかも彼らは真面目に農業に従事するよりも、かかる生活に必然的に伴う幾多の困憊と危険とに自ら好んで身を曝すのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. Tart. vol. ii. p. 573 et seq.
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他の囘教韃靼人の生活方法もこれと同じことであり、これを繰返すのは煩しいから、従って読者は『韃靼系譜史』とその有益な註を参照せられたい。この歴史の著者はチォワラスムのチャンであるが、彼自身の行為が、これらの国で行われる政策上の、復讐または掠奪のための、戦争の、蒙昧なやり方に関し、面白い例を示している。彼は一再ならず大ブカリアを侵略した。そしてその遠征のいずれも、国土を蹂躪し、町村を亡ぼし破壊したのを特色とした。彼れの俘虜のある者が彼れの行動を妨げるような場合には、彼はこれを即座に殺すのを躊躇しなかった。彼に対する朝貢族たるトルコマン族の力を減らそうとして、彼はあらゆる主立った人物を厳粛な饗宴に招き、それを二千名も虐殺させた。彼は少しも容赦なく残酷に、トルコマン族の村を焼き払い破壊し、そしてその結果が自分に戻って来て戦勝者の軍隊が食物の不足で甚だしく悩んだほどの破壊をあえてしたのである1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。
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1)[#「1)」は縦中横] Geneal. Hist. Tart. vol. i. ch. xii.
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囘教韃靼人は一般に商業を嫌い、彼らの手中に入るすべての商人を害することをその職業としている1)[#「1)」は縦中横、行右小書き]。黙認する唯一の商業は奴隷売買である。これは彼らが掠奪的侵略で持ち去る分捕品の主たる部分を成すものであり、彼らの富の主たる源泉と考えられている。彼らがその家畜の世話をさせるかまたは妻妾にす
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